「非安全保障のための石油」の崩壊:ベネズエラとサウジアラビアにおける危機とその帰結
ジェイコブ・ムンディ(Jacob Mundy)
『アフリカ・イズ・ア・カントリー』2019年3月24日
原文リンク:https://africasacountry.com/2019/03/the-collapse-of-oil-for-insecurity
〔昨年来つづくトランプ政権によるベネズエラへの攻撃の背後にある要因として、同国の石油埋蔵の存在が度々指摘されてきた。2026年1月3日ベネズエラの首都の爆撃とニコラス・マドゥーロ大統領の誘拐ののち、トランプがアメリカによるベネズエラ石油のコントロールに言及したことからも、この侵攻は石油を目的としたものである、という言説が説得力を持つようになっている。一方で、「石油と戦争」の関係については、これまでさまざまな批判的な検討が行われてきた。本記事でも紹介されているロバート・ヴィタリスは2020年の著書Oilcraft: The Myths of Scarcity and Security That Haunt U.S. Energy Policyにおいて、石油を戦争の原因とみなす言説を、実際上の根拠をもたない「魔術的思考」であるとして批判的に検証している。ティモシー・ミッチェルは、アメリカによる中東への介入で問題だったのは、石油そのものではなく、中東に「非安全保障」を生みだすことで石油の稀少性の感覚をつくりだし、それによって石油価格を維持することだったのだと論じた。2019年(ベネズエラでは大統領選を契機に社会的な騒乱が起こり、米国はその国営石油企業を制裁の対象とした)に書かれたこの記事において、中東・北アフリカ地域の研究者であり、リビヤや西サハラについての著書があるジェイコブ・ムンディは、これらの分析を引き継ぎつつ、長期的な時間軸のなかで近年の石油をめぐる政治経済学について見取り図を示そうとしている。石油と戦争の関係について考える枠組みときっかけを与えてくれる論考として、ここで紹介したい。(訳者)〕
サウジのジャーナリスト、ジャマール・ハーショグジー(Jamal Khashoggi)が〔サウジ〕国家の手引きによって殺害されたことに起因するアメリカ-サウジ関係の危機は、ベネズエラの現在の混乱とは無関係に見えるかもしれない。
ふたつの危機についてのコメントは、当然のことながら石油の中心的な位置について論じてきた。ベネズエラの国内対立は、石油歳入の不手際な運営のせいだと言い立てられているいっぽう、ハーショグジー危機は、ワシントンがサウジアラビアとのあいだに行なった悲劇的な「安全保障のための石油(Oil for Security)」の取引――アメリカは嫌々ながらも止むに止まれず中東の石油を保護しており、その見返りに、サウジ側はアメリカの兵器を購入することで数千人の防衛産業労働者の雇用を生んでいる、という考え方――の帰結として描きだされている。
しかしながら多くの点で、これら二つの危機はより大きな危機に関連している。石油の「過剰な潤沢性(overabundance)」という増大しつつある危機のことだ。そうした意味でこれらの危機は、1970年代に作り出された政治的・経済的な編成が崩壊しうる可能性について、問いを投げかけている。そうした編成は、最近のアメリカの石油採掘における技術的革命によって妨害されてきたからだ。四十年間にわたり、中東と北アフリカにおける超-軍事化と永続的戦争は、石油から富と権力を抽出することを可能にするなによりの条件だった。こうした手段――非安全保障〔安全欠如〕のための石油――は、もはや機能していないように見える。
「安全保障のための石油(oil for security)」とは何か?
「安全保障のための石油」〔安全保障と石油の取引〕というナラティブは、アメリカと広い範囲での中東との関係を説明するうえで強力なものなのだが、そこには欠陥が存在する。いくつかの理由を挙げよう。第一に、政治史家でサウジの専門家であるロバート・ヴィタリス(Robert Vitalis)が論じてきたように、そのような何らかの取引が公式に存在するという文書上の証拠は、まったく存在していない。
第二に、安全保障のための石油というナラティブは、説明の辻褄が合わない。ワシントンは、1950年代と1960年代――アメリカが外国の石油に依存するようになるはるか以前――から、サウジ、イラン、そしてリビヤの君主たちの日々の安全保障にはるかに直接的に関与していた。リビヤでは、イギリスとアメリカによる「保護」は石油の生産に十年以上も先立っていた。ワシントンはまた、石油生産をほとんど(あるいはまったく)持たない国々であるモロッコ、チュニジア、エジプト、イスラエル、トルコ、およびパキスタンにも、同じくらいの関与を示してきた。冷戦のあいだ、モロッコは、エジプトに次いで、アフリカで最も多くのアメリカの軍事援助を受け取ってきた。
第三に、安全保障のための石油は、ほとんどすべての関係者にとって、損でしかない提案でありつづけてきた。イラク、イラン、およびリビヤの君主たちはみな、ワシントンの政策に公然と挑戦した政権によって打倒され、交代された。より最近の事例では、2003年のイラク侵攻・占領によって利益を得た国は唯一イランだけであるとアメリカ軍が結論づけた。2014年の時点で、アメリカによるアフガニスタン占領は、すでにマーシャル・プランの費用を上回っており、にもかかわらず、トランプ政権はいまにも〔アフガニスタンから〕撤退しようとしている。2001年の進行以前にターリバーンが提案していたものとほとんど同一の和平条件のもとで。〔アメリカは2021年にアフガニスタンから撤退した。〕
さらに言えば、安全保障のための石油は、中東地域の安全保障にとっても、それほど良いものではなかった。現時点で、冷戦の終結以来、最も壊滅的な紛争のうちの五分の三を中東での紛争が占めており、2012年以来、世界の他の地域を足し合わせたよりも多くの武装紛争による死者を目撃してきた。
第四に、安全保障のための石油というナラティブは、アメリカの政策のイデオロギー的性質を曖昧化してしまう。75年間におよぶアメリカによる中東への「臆病な関与」や「不幸な介入」のなかで、ワシントンは一度として、アルジェリア、リビヤ、シリア、イラク、ないしイランのような、石油生産を持つ中東のポピュリズム的社会主義共和国のいずれとも、嫌々ながらも継続的な同盟関係を持つということをしなかった。これらの国々が、事実上、ワシントンがもっとも頻繁に牽制し、対決し、あるいは実力で体制変革を行なった政権であるということは、ほとんど言うまでもない。
最後に、エネルギー安全保障は、安全保障のための石油というごちゃごちゃした塊を必要とはしていない。中国は、たった一つの産油国すら侵略したり占領したりすることなく、世界最大の経済を発展させることに成功し、いまや地球で最大の電気自動車の隊列を誇っている。
非安全保障のための石油(Oil for Insecurity)
「安全保障のための石油」理論がかかえる問題は、石油の政治が、石油の生来の稀少性によって規定されているという共通前提である。それゆえ、とりわけ中東と北アメリカで、石油をコントロールするための熱狂的な努力が行われた、というわけだ。だが歴史家のティモシー・ミッチェル(Timothy Mitchell)が立証したように、現代世界の形成において石油が果たした役割を規定していたのは、まさしく正反対の問題だった――石油はいつでも、忌々しいほど多く存在しすぎたのだ。石油から富を抽出する企業の能力、そして石油から権力を引き出す政府の能力がつねにその土台としてきたのは、石油が稀少であるという感覚を作り出すことだった。
石油の初期の数十年、利潤と権力とは、国内における独占や列強国同士の共謀によって創出されていた。第二次世界大戦以後、支配的な北大西洋の石油企業カルテルが、自国の政府と共謀することで、石油の稀少性を管理することになった。このシステムは、1950年代から1960年代にかけて徐々に危機におちいっていった。主要な産油諸国が、より公平な利潤の共有、および石油の採掘・精製・輸出におけるより多くのテクノロジー的・科学的・経営的側面での関与を要求しはじめたからだ。ほどなくしてポスト植民地世界の各地で、石油埋蔵とインフラの所有権に関して(完全なる国有化ではないにしろ)果敢な再交渉が行われるようになった。
1960年代後半におけるこうした欧米権力と企業収益性の危機は、中東と北アフリカにおいて石油の稀少性を人工的に生み出す新たな手段が出現したことで解消された――戦争である。1967年、そしてより重要な1973年のアラブ-イスラエル戦争ののち、メジャーな国際石油会社らは、自社の相対的な利潤率が急騰するのを目の当たりにした。この稀少性は、いわゆるアラブの石油禁輸とは何の関係もないものだった。むしろ、中東・北アフリカにおける永続的な非安全保障〔安全欠如〕の力こそが、稀少性というグローバルな感覚を引き起こし、それによって石油価格を上昇させたのである。
1970年代末には、新たな悪化した紛争の布置がサハラ砂漠の西端から西ヒマラヤにわたって展開していた。世界の主要な石油埋蔵が、政治的な不安定さという定常的な脅威にさらされているなか、永続的戦争と超-軍事化は、前例のない利潤率を生み出すという効果を持っていたのだ。
これらすべては、石油会社にとって幸運な巡り合わせだった。中東・北アフリカにおける永続的な不安定さの真の駆動要因は、二つの異なる展開に由来していた。第一に、ポスト植民地世界における間接的コントロール、代理戦争、および共産主義の封じ込めといったベトナム戦争以降のワシントンの政策である(例えば、サファリ・クラブ)。そして第二に、兵器製造のための新市場と資金源を見つけ出すという要請である。これらの利害が中東・北アフリカにおける地理的に合流したことは、より正確に「非安全保障のための石油(oil for insecurity)」〔非安全保障と石油の取引〕と表現することができるだろう。
ニクソン政権、フォード政権、カーター政権、そしてレーガン政権は、一貫して中東を不安定化させる政策を追求してきた。西サハラ、チャド、イラン-イラク、そしてアフガニスタンでの戦争は、すべて意図的に悪化させられた。イランとリビヤにおけるパーリア政権〔国際社会から疎外され敵視されている政権〕は、攻撃的な対決にさらされてきた。そしてモロッコ、チュニジア、エジプト、トルコ、サウジアラビア、およびパキスタンにおける保守的・権威主義的な同盟政権には、報酬として武器と援助が惜しみなく与えられた。
石油ドル(petrodollars)に沸く中東各地の政権は、間地域的な対抗関係の苛烈化にたいして、北大西洋産のものであれソビエト産のものであれ、冷戦の(非)連携関係を頼りに、兵器で武装することによって対応した。北大西洋の武器製造企業にとって、「非安全保障のための石油」は、みずからのベトナム戦争以後の利潤率〔収益性〕の危機にたいする解決策でもあったのだ。2017年時のドルで見た場合、中東の武器輸入は、1971年には75億ドルだったが、たった六年後には300億ドルを突破した。1970年代末、GDPの10パーセント以上を軍事支出が占める国々の圧倒的な大半を中東が占めていた。1982年には、中央政府の支出における軍事支出の占める割合が最も高い十の国々は、すべて中東に存在した。今日でも、中東の大半の政権が、軍事支出と武器輸入という点で、他のあらゆる「中収入」諸国を引き離している。
経済学者のヨタナン・ニツァンとシムション・ビヒレル(Jonathan Nitzan and Shimshon Bichle)が、三十年以上におよぶ一連の研究のなかで一貫して証明してきたように、1960年代後半以来のメジャーな石油会社と軍需会社の相対的な収益性は、中東地域における不安定性と密接なつながりを持ってきた。
過剰な潤沢性(Overabundance)という危機
2014年以来、シリア、イラクおよびリビヤでイスラーム国が復活し、いくつかのカギとなる産油地帯において地域的な不安定性が苛烈化しているように見えたにもかかわらず、主要な石油会社の相対的な利潤は、実際のところ、前例のない低下の時期に突入した。それでは、いったい何が起こったのか?
1967年のアラブ-イスラエル戦争以来の五十年間、中東・北アフリカにおいては、永続的な非安全保障によって駆動される、二つの稀少性と潤沢性の循環が存在した。第一のものは1970年代中盤から1990年代を通してのものであり、第二は2001年から今日までのものだ。
第一の「非安全保障のための石油」のサイクルは、1970年代後半から1980年代前半に石油価格を前例のない水準にまで押し上げ、新たな採掘のフロンティアとテクノロジーに刺激剤を与えた(たとえば、アラスカと北海)。その後、世界中で次第に石油の供給過多が生じた。石油価格は最終的に1986年に暴落し、その道連れにソビエト連邦を瓦解させた。
冷戦の終わりは、ほどなくして、メジャーな石油会社と武器会社にとっての持続的な危機の時期に変わった。それは基地の撤収、ペンタゴン予算の削減、そして中東の和平プロセス(例えば、西サハラとパレスチナ)からなる世界だった。ネオリベラルな民主党が、労働者を脇に置き、平和と安全保障(テックと諜報)のうえで繁栄する資本主義内のセクターを重用するなかで、新保守主義運動の反動的な政治勢力は、みずからの政治的命運を回復するために、「石油・武器・中東の非安全保障」という昔ながらの連携に倍賭けするようになった。ブッシュ=チェイニー政権によるアフガニスタンとイラクへの侵攻は、事実上、ある一面においては驚くほどの成功を収めていた――1990年代の平和という危機が終わりを迎え、石油と防衛の相対的な利潤率〔収益性〕が回復したのだ。
主要な石油生産国――戦争に呑み込まれたりアメリカの制裁を食らったりしていない国々――は、こうした利潤を政治権力へと変換した。皮肉な事例は、ベネズエラだった。冷戦の終わり以来の最も野心的な社会主義ポピュリズムの実験を遂行するというウーゴ・チャベス(Hugo Chávez)の能力は、まさしく彼が繰り返し弾劾したところの帝国主義によって可能になったものだったのだ。
だが、2001年から2012年にかけての「非安全保障のための石油」は、その解体作業でもあったことが明らかになった。陸上・海上での新しくはあれ高価なテクノロジー、とりわけ水圧破砕法(「フラッキング」)は、石油価格が1980年を最後に見られなかった水準へと回復するなかで、どうやら財政的に存続可能なものになったようだ。アメリカ合衆国における生産は急増しはじめた。そしてこのようにして、「非安全保障のための石油」の第二のサイクルは(第一のサイクルと同様に)みずからの解体の条件を作り出したのだ――忌々しいほど多すぎる石油を生産することによって。
2013年に亡くなったチャベスは、2014年に石油価格が崩壊するところを、そしてニコラス・マドゥーロ政権下でみずからの遺産が食い潰されるところを、生きて目にすることはなかった。だが、ますます「非安全保障のための石油」に依存するようになったあらゆる政治・企業の指導者と同様に、マドゥーロもまた、過剰な潤沢性という如何ともしがたい新たな現実に適応するべく苦闘した。アメリカの制裁によってベネズエラが自国の負債を再調整するのが不可能となったことも、その助けにはならなかった。
今日の過剰な潤沢性の危機は、例外的にしぶといものであることが証明されてきた。シリア、イラク、リビヤ、およびイエメンにおける内戦は、2014年と2015年の外国干渉によって苛烈化したが、しかし石油価格は暴落しつづけた。伝統的なメカニズムを通じたより最近の価格引き上げの努力――OPEC-ロシアによる割当制やイランとベネズエラへの制裁――は、これまでのところ効果を上げていない。水圧破砕がいっそう安価になるなかで、たとえ石油を制限しそれによって価格を引き上げようという努力したとしても、北アメリカからの出力が増加することで、それは自動的に相殺されてしまうようにみえる。
「非安全保障のための石油」が崩壊したことは、この新たな現実に適応するために出現するであろう様々な戦略に関して、問いを投げかけている。結局のところ、私たちはプーチンとトランプのネオ権威主義のもとでの過剰な潤沢性という新たな政治の初期バージョンを目にしているのだ、と考えることには心魅かれる。しかしながら、それは彼らをあまりに過大に見積もることであるかもしれない。今日の世界において、ベネズエラのような主要な産油国が制裁、内戦、ないしその両方によって市場から切り離されるようにすることには――企業利潤や政治権力のレベルにおいて――依然として恐ろしく強大なインセンティヴが存在している。それゆえ、ワシントンとモスクワの指導者たちが見事に共謀してベネズエラの危機を悪化させるのを目にしたとき、世界は気をつけなければならない。
翻訳:中村峻太郎
公開日2026年1月19日
©Africa is a Country 2019, reprinted under the Creative Commons license.
使用画像:Close-up of Lake Maracaibo, Venezuela.jpg via Wikimedia Commons
