アミタヴ・ゴーシュ「大いなる引き抜き|惑星的危機の時代における移民と避難民」


1.

私の著作のうち、ほとんどとは言わずとも多くのものが移民たちや避難民たちについてのものであり、2014年から2016年にかけてのいわゆるヨーロッパの「難民危機」が私の関心をひいたのも、それほど不思議なことではない。世界中の何百万の人々と同じように、私は難民たちについてのメディア報道にくぎ付けになった。彼らは地中海やバルカン半島を通って、どうにかしてヨーロッパに到達しようとしていた。

報道を追っていたあるタイミングで、腑に落ちない点があることに気が付いた。ヨーロッパのメディアは、難民たちがアフリカや中東の、戦争でぼろぼろになったり、経済的に荒廃したりしている国々——エリトリア、ソマリア、シリア、イラク、アフガニスタン、等々——からやってきていると主張している点で、多かれ少なかれ一致していた。しかし、写真やテレビの映像をよく見てみると、インド亜大陸からやってきたに違いない顔つきの人々が多くみられた。実際に、多数の人々が私の出身地である地域からやってきているようだった。ベンガルである。[1]

この問題について立ち入って調べるなかで学んだのだが、国連の統計によれば、バングラデシュは移民・難民の出身国リストのほとんど最上位に位置している。[2] このことは、難民たちが戦争でぼろぼろになり経済的に荒廃した国々からやってきているというメディアの語りとはまったくもって合致しない。もちろん、バングラデシュにはいまにも沸騰しそうな政治的な摩擦は数多く存在する——南アジアの国はどこでもそうであるように。しかし、バングラデシュに存在する暴力のレベルは、たとえばシリアやアフガニスタンやエリトリアのそれと比べれば、足元にも及ばない。[3] それに、バングラデシュの経済は困窮状態とは言えない。実際には、ここ数年は世界的に見ても最良の成績を収めた国に属する。バングラデシュ経済の成長率は2018年にインドを超えた。また事実、いくつかの社会的な指標からみても、バングラデシュはインドよりもうまくいっていた。この国の平均寿命は、現在は72歳であり、対してインドでは68歳、パキスタンでは66歳である。実際のところバングラデシュのパフォーマンスは非常に印象的だったので、ある著名な経済学者は、この国が「ほんの20年前には想像もできなかった道を進んでいる。アジアのサクセスストーリーになろうとしているのだ」とコメントしている。[4]

『大いなる錯乱:気候変動と〈思考しえぬもの〉』[三原芳秋・井沼香保里訳、以文社、2022刊(原著は2016年刊)]を刊行したばかりだったので、インド亜大陸からの脱出が気候変動と何らかの仕方で関係しているのではないかと私が考え始めたのは、おそらく避けがたいことだった。移民たちの多くがバングラデシュから来ているという事実は、この推測を支持しているように見えた。[5] よく知られているように、ベンガル・デルタは気候変動に対して極端に脆弱であり、これからの数十年で、数千万人のバングラデシュ人が気候変動によって移住を強いられると予測されている。[6]

こうしたことを考え合わせると、何らかの目につかない仕方で気候変動が人々をバングラデシュから追い出していると想定するのは自然なことだと思われた。そうでなければ、どうして若い男たち——ちなみに移民たちは実際のところ圧倒的に男性かつ若者が多かった——が西アジアと北アフリカを越えてヨーロッパへと向かう危険な長旅を企てるということになるのだろうか?

私がメディアに見出すことができた回答は、往々にしてありきたりなものだった。よく言われていたのは例えば、移民たちは「より良い生活(ベター・ライフ)」を求めて出発したのだ、というものだった。この答えは、私にとってさらに多くの問いを生むものであるように見えた。例えば、良い生活とはなんだろう? それはどのように想像されるのか? より良い生活という観念に形を与えるイメージや約束とは何なのか? それを吟味するうちに分かったのは、「より良い生活」というフレーズは、無意味なマーケット上の新たなスローガンにすぎないということだ。[7]

メディア報道が移民のさまざまな動機を深く調べるということはほとんどない。これは、「移民危機」について書いているジャーナリストたちは西洋人が圧倒的に多く、彼らの関心が政策や公共福祉などの問題に偏りがちであるという理由によるのかもしれない。さらに言えば、もっとも重要なことだが、移民たちの話す言語に通じているジャーナリストが極端に少ないのだ。そのことがこの現象のいくつかの側面を理解しがたくさせているのかもしれない、という考えが私の頭に浮かんだ。

生育状況と教育状況のおかげで、私は移民コミュニティのあいだで広く話されている三つの言語を話すことができた。ベンガル語、ヒンディー/ウルドゥー語、アラビア語エジプト方言の三つである。このことによって違う視点を提供できるかもしれないと私は考えた(そして、今ではその通りだと確信している)。そういうわけで、私は2017年にしばらくのあいだイタリアに滞在することにした。移民たち自身と、彼らとともに働いている人々から何が学べるのかを確かめるために。[8] そのとき私の心のなかで最上位を占めていた関心事は気候変動だった。ヨーロッパの移民危機が(と私は自問した)長らく予測されていた大規模な「気候難民」の時代の始まりを告げているということは、ありえるのだろうか?[9]

2.

環境と移民に関する歴史研究の世界的な第一人者であるスニール・アムリスによれば、「ベンガル湾の歴史が私たちに教えてくれることの一つは、環境と移民の関係を単純化することがないよう注意する必要があるということです。突然の環境変化や環境危機、あるいは環境災害は、たしかに移住の原因となることがある一方で、事態はそれほど単純ではないということも、分かるようになるでしょう。人為起源の気候変動だけが問題になっているわけではないからです」。[10]

これが真実であることは、イタリアのベンガル人移民たちと会話をするなかで、私にはすぐに明白になった。私が話しかけた人々は、ほとんど例外なく、環境変動は移住を決断させた数多くの要因の一つにすぎないと主張したのだ。その他の諸要因のなかで、もっとも頻繁に挙げられたのは、土地をめぐる紛争、家庭の不和、宗教的な対立、そして政治的な問題であった。

しかし、移民たちの話を聞き続けるうちに明らかになったことは、比較的特定が容易な諸要因が、同じく状況を作りだしているものの特定が難しい強制力、何らかの動機となる強制力を見えづらくしていることも、しばしばあるということだ。そうしたものの一つは、見本というものの力、言い方を変えれば、すでに旅立った友人たちや隣人たち、親縁者たちと張り合いたいという欲望である。[11]

このことはとりわけ、若い男性を長いあいだ海外に送ってきた歴史を持つバングラデシュに関して重要かもしれない。この点では海上交易が決定的なベクトルだった。何世紀にもわたってベンガル人の男性たちは、帆船と蒸気船のための労働力の多くを供給してきた。これらの乗組員たち——あるいは呼ばれていた言い方では水夫(ラスカー)たち——は、ブリテン島やその他の国々に定住した。そのなかにはアメリカ合衆国も含まれていた。[12] こうした移民たちは自分の故郷に仕送りを送っていたので、彼らの村のなかでは非常に敬愛されるようになった。別の言い方をすれば、成功した移民たちは、社会のあらゆる層で、いわば模倣の対象になったのだ。[13]

模倣は、人々の移動においておそらく常に重要な役割を果たしてきた。例えば19世紀には、ヨーロッパからオーストラリアとアメリカに向けて多くの移民の旅が試みられたが、それは友人たちや親縁者たちを手本としていた。しかし今日私たちは、模倣の衝動が、非常に強力な種々の新しいテクノロジーにとっての金の鉱脈となってしまった時代に生きている。例えば、ソーシャルメディアは、模倣の原則に正確にもとづいてプログラムされている。ジェフ・シュレンバーガーがフェイスブックの誕生についての納得のいく説明のなかで指摘しているように、「ソーシャルメディアのプラットフォームは、さまざまな手段を通じて、ユーザーが反復的な模倣の鎖のなかに入るよう絶え間なく命じ続ける。つまり、ユーザーの欲望を他のユーザーへ告げ知らせることによって、さらなる欲望をそのプロセスのなかに引き込むのである」。[14] フェイスブックのための初期投資に出資したピーター・ティールが、模倣の理論についての現代の第一人者であるルネ・ジラールの門弟であったことを思い出しておくことは有益だろう。実際に、ティールはこのテクノロジーへの関心を触発したものとしてジラールの理論を挙げている。

模倣の衝動を搾取=開発(エクスプロイト)することによって、ソーシャルメディアはそれが生み出す欲望に新たな強度と切迫性を与えている。さらに言えば、誰もが(そしてどの場所も)そうした欲望から排除されないことを保証したということが、ソーシャルメディアの持ち味である。世界のもっとも辺鄙な土地でさえ、いまやデバイスを買える人ならだれでもソーシャルメディアにアクセスすることができるし、そうしたデバイスは安価に繰り返し入手することができる。スマートフォンは、識字能力のない人々にさえも、音声認識技術によってインターネットへのアクセス手段を提供している。[15]

携帯電話はまた、イメージの循環にも途方もない加速をもたらし、それにより広告産業のリーチ範囲を著しく拡張した。広告産業は、言うまでもなく模倣的な欲望の産出のために作られたものだ。その結果、かつてない規模での欲望の同質化が引き起こされたが、それは惑星中に広がり、人間の魂のもっとも深い点にまで達している。今日では、ごくまれな例外はあれ、あらゆる場所、あらゆる大陸の人々が同じ欲望をはぐくんでおり、その大半は商品へと集中している。

このことは深甚な帰結をもたらさずにはいない。想像してみよう。たとえば、ベンガルの村で、ある少年が一日の大半を父親の田んぼで働いて過ごしているとする。一日中燃え盛る太陽のしたで立ち通し、しばしばくるぶしまで泥に埋まる。困難な状況だ。天候のパターンが変動していることも、状況を悪化させている。日中の気温は最大で摂氏50度にまで達することもあり、雨はますます時期を外して降るようになっている。しかし少年の家族は、たまたま携帯電話を所有できるようになり、彼らはそれをソーラーパネルで充電する。彼らはWhatsAppを通じて、すでに土地を売って旅立った何人かの親縁者たちと繋がる。携帯の画面上で、彼らはおしゃれな洋服や冷蔵庫やその他の商品の広告を目にする。彼らの親縁者がヨーロッパの富裕な都市でとった写真さえ目にすることになる。

少年の引き抜き(アップルーティング)[文字通りには根を抜くこと。住み慣れた土地や生活環境を離れることも指す]は、気候のイベントとともに始まるのだろうか? それとも小さな画面上で目にするイメージとともに始まるのだろうか? そして気候のイベントと消費文化が同時に彼の人生に影響を及ぼしたことは、偶然なのだろうか? それともそれらはひょっとして、同じひとつの出来事の二つの症状なのだろうか? すなわち、経済とテクノロジー、生産と消費がひたすら加速の度を増していくという出来事の?

コンピューターやスマートフォンのようなデバイスの変形的な力は、長いあいだ認知されてきた。そうしたデバイスは、人間が何らかの目的を達するために用いるというだけのツールではない。それらを使うことは、避けがたく相互に作用しあうということであり、このプロセスは人間(とりわけ若く影響を受けやすい人たち)の「精神=身体」に何らかの神経上の変質をもたらすことが知られている。[16]

こうしたことはどれもよく知られているが、ヴァーチャル・リアリティが人間の意識に及ぼす影響が議論されるときには、ほとんど常に富裕国か準富裕国についての話として議論される。まさにこの主題が呼び出すイメージは、パロアルトや上海や大阪であり、高価な機器でいっぱいになった部屋のなかに引きこもる非社交的なティーンエージャーなのである。

私の見方では、この像はひどく誤解を招くものだ。デジタル革命は、経済力と教育とテクノロジー技能とのあいだの長らく続いてきた結びつきを破壊した。インドやその他の多くの貧しい国々では、非常に多くの人々が、公的な教育や物質的な状況とまったくもって釣り合わないほどのヴァーチャル・テクノロジーの能力を有している。辺鄙な村々であっても若い人々はごく幼い時期からデジタル・テクノロジーに晒されるし、多くの人はインターネットの使用に習熟する。例えばパロアルトや大阪のティーンエージャーのようにヴァーチャル世界に浸ることはないかもしれないが、受ける影響という点では同じくらいか、より大きい。それはまさしく、彼らが実際に生きている現実と彼らが画面上で見るものとの差異が途方もなく大きいからだ。

そうすると、ひるがえって次のような疑問も浮かぶ。こうした状況において、移住者の行為主体性(エイジェンシー)とはどのような性質のものなのだろう? 先のベンガルの少年を例にとろう。彼の移住の決断は、完全に彼自身のものなのだろうか? それともある程度、彼が手にもつデバイスのなかに姿を現す「認知の寄せ集め(アッサンブラージュ)」との相互作用の産物なのだろうか? もしそうだとすれば、若い移民たちは、移動を決めた自身の決断に対してどの程度の責任をもつのだろう? [17]

今日では、人間が自己誘導的な機械——キラー・ドローンのような自動兵器など——と相互作用をする際に持ち上がる倫理的・哲学的なジレンマについて、広く認識されるようになっている。[18] もし私たちが人間的・技術的なスペクトラムの反対側でも——すなわちグローバル・サウスにおける貧しい人々のあいだでも——同じジレンマが生じることを認めようとしないならば、それはもしかしたら、自分たちの時代のテクノロジーが引き起こした分裂の真のスケールを認識できていないということではないだろうか。[19]

3.

ベンガルの村の例の少年に戻ろう。彼の属性はまったく想像上のものというわけではない。イタリア中で、私はそのような村で育った多数の若いベンガル人たちに会った。彼らのうちの多くはイタリアに来る途中でリビアに滞在し、そこで殴打や虐待、拷問に遭ってきていた。彼らはみな労働契約業者に「売られ」、食べ物や水を与えられず、賃金支払いを拒否され、道沿いに潜むギャングたちによる略奪に常に脅かされる、といった経験について語った。

これらの説明はあまりに多くの野蛮な話に満ちているので、こうした経験を、コミュニケーションの加速によって特徴づけられる私たちの時代にとって、いくらか非本質的なものであると容易に考えてしまう。それは第一世界と第三世界とのあいだで溝が広がりつつあることの、ひとつの症候として受け取られるのだ。しかし先祖返りどころか、これらの旅は現代のさまざまなテクノロジーと切り離すことができない。[20]

例えば携帯電話は、移民たちが身に付けるものとして広く普及しており、旅の説明にも頻出する。移動の連鎖を形成している(リンク)はどれも、すべからく携帯電話に依存している。すなわち、移民たちが故郷からお金を受け取るときも、自分たちの旅を手配するエージェントに支払いをするときも、携帯電話が用いられる。モバイルデバイスは、国境をまたぐ長距離の旅程をガイドするコンパスであるし、入国地点やシェルターや援助についての生死にかかわる情報を提供してくれる。移民たちが困難に直面したときに最初にとる行動は、助けを求めて携帯電話に手を伸ばすことである。携帯電話を通じて、彼らは道中の困苦から気をまぎらわし、仲間たちと連絡を保ち、さらには友人たちや親縁者たちのために自らの旅を記録するのである。

似たようなことだが、携帯電話やソーシャルメディアは、移民の旅を手配する闇のネットワークにとっても、必要不可欠なものだ。[21] サービスの募集や宣伝にはじまり、移民たちのための偽造文書の調達にいたるまで、彼らのビジネスのあらゆる要素はインターネットのおかげで安全性と匿名性の度合いを高めている。「携帯電話は移民の取引業者にとっての非常に重要な道具である」と著名なイタリアン・アンチマフィアの職員が記している。「彼らは、電話によるコミュニケーションを行わない組織的犯罪者たちとは違っているのだ。」[22]

携帯電話が、かつては布の包みやぼこぼこに凹んだスーツケースがそうであったように、現在の移民の波の象徴的なイメージになっていることも、不思議ではない。[23] 貧しい国と豊かな国のあいだの距離を広げているどころか、非常に重要ないくつかの点で情報テクノロジーはそうした溝を実質的に小さくしている。

しかし、このテクノロジーの存在が、語り手ないし聴き手によって、明確にそれとして特定されることはまれだ。というのも、携帯電話は私たちの「テクノロジー的無意識」の一部になってしまったからだ。言い換えれば、これらのデバイスやテクノロジーはいまや私たちの無意識的な認知プロセスのなかに非常に深々と埋め込まれているので、私たちは電気や自動車の存在と同様に、それらを当然のものとして思いなしてしまう。社会を形作るあらゆるテクノロジーと同様に、このテクノロジーも不可視のものになってしまった。[24]

しかしいかなるときであれ、なんらかのディテールが浮かびあがってこのテクノロジーの遍在性を思い出させる。ここでは、一例として、リビアで数年間を過ごした20歳前後のバングラデシュ人移民から私が聞いた話をしよう。彼のことはパラシュ(Palash)と呼ぶことにする。ある日パラシュが他の何人かと一緒にトリポリ郊外での仕事から歩いて帰ってきたとき、カラシニコフを持ったリビア人のギャングの一団に待ち伏せをうけた。自分が身に付けているもののうち、パラシュが唯一価値があると考えたのが、携帯電話だった。彼はなんとかそれを砂地の方に蹴り入れ、通知で音や光が出ないことを祈った。

ギャングたちが価値のあるものを渡すよう要求してきたとき、パラシュは持っていた金を渡し、他にはなにもないと言った。携帯も持っていないと。ギャングたちはそれを信じず、彼の服を脱がせて裸にしたうえ、身を折らせ、そこに何かを隠していないかと直腸の穴を棒で調べた。何もないと分かると彼らはパラシュを棒で叩き、腕を突き刺した——それでもまだパラシュは携帯電話が近くの砂地にあることは言わなかった。パラシュはおびただしい血を流しながら、道端に置きざりにされた。それから彼が真っ先にしたことは、傷に包帯をまいたり服を身につけたりすることではなく、自分の携帯電話を取り戻すことだった。彼にとって、それは命と同じくらい価値のあるものだったからだ。

こういう質問が出るかもしれない。もし移民たちが本当に情報テクノロジーの扱いに熟達しているのなら、どうして彼らは現在のヨーロッパの状況についてもっと現実的なイメージを得ることができないのか? なぜギリシアやイタリアで正規の雇用を見つけることが決してできず、道端で雑物売りをして露命をつなぐことになり、ギャングや略奪的な雇用者や、警察にさえも付け狙われるかもしれないということを、どうして理解しないのか?

この点こそが、サイバー世界の相互作用的な側面がきわめて重要なものとなる局面である。今日広く知られているように、インターネットやソーシャルメディアによって私たちに提供される情報は、かなりの程度、私たちの欲望や思い込み、そしてさまざまな関係性によって形作られている。結果としてそうした情報は私たちの偏見や期待を強化し、私たちに「フェイクニュース」を信じさせるのだ。私の推測では、まさにこれこそ私が会った移民たちに起こったことだった。彼らがネットで目にしたヨーロッパは、彼ら自身の期待によって形作られていたのであり、ソーシャルメディアでの反応によって形作られていたのだ。彼らは結局のところ、自分が見たいものを見ていたのだ。要するに彼らは——私たちの多くと同じように——「フェイクニュース」に基づいた願望充足的なファンタジーの犠牲者なのである。

その実例として、イタリアに住むパキスタン人「繋ぎ屋(コネクション・マン)」が、二人のイタリア人リポーターに伝えた話を紹介しよう。

「パキスタンに帰るといつも、たくさんの人たちに会う。ある日、学校時代からの仲のいい友人が会いに来た。「息子がイタリアに行くのを助けてくれないか」と彼は頼んできた。「いまはいい時期じゃないよ」と私は言った。彼は黙ってしまった。「息子さんはなにをしてるの?」と私が訊いた。「薬剤試験のラボを持ってるんだ。その運営者で、うまくやっている」。私は彼の眼を見て言った。「じゃあそのままここにいたほうがいい。ほんとうにその方がずっといいんだ。息子さんを説得してみてくれ」。翌日、私の友人は目に涙を浮かべてやってきた。彼の話では、私が言ったことを息子に伝えたけれども、息子は必死になっていて、何が何でも出発しようとしている、という話だった。出発することができなければ、ピストルで頭を撃ちぬいてしまうだろう、と。私の友人は、息子を失うくらいなら旅費を失った方がましだと説明した。良心の呵責に苦しみたくない、息子は出発しなければいけない、と。そういうわけで、私は彼の息子を心変わりさせる方法を考えてみようと言い、彼に会いに薬剤のラボへと足を運んだ。それは瀟洒な区画に位置していて、広くて清潔な建物だった。友人の息子は白衣を身につけており、ただの技術者であるにもかかわらず皆から「先生(ドクター)」と呼ばれていた。彼は忙しくしており、短時間しか話せなかった。父親に言ったことを繰り返した。私は彼を心変わりさせようとし、移住先がどんな土地であり、何を失うことになるのかを伝えた。私が説明したのは、いまパキスタンで手にしていることをイタリアで手にすることは絶対にないということ、彼が間違いを冒しているということだった。しかし成果はゼロ、彼は出発して自分の幸運を試したがっており、イタリア以外のことは頭にないのだった。

 私は父親にも息子にも警告した。正直に話したが、まるで耳が聞こえない人に話しているようだった。じゃあいいだろう。イタリアに行けばいい。息子はイタリアに到着した。彼にふたたび会ったのは二年後のことだった。彼は不法に雇用されていて、畑仕事をしており、食べ物にも困るということがしばしばだった。あなたの言う通りだった、と言われた。言うことを聞かなかったことを後悔している、と。パキスタンに残っていた方がずっと良かった。機会にあふれた国だなんて嘘だ。でももう遅い」。[25]

4.

私が話した移民たちの多くは、ヨーロッパへと向かう途上で極端な危険に遭遇していた。国境線を超えようとして発砲された人々、ボートが地中海で転覆して溺れかけた人々、十八輪のトラックの車体につかまってギリシアに渡ろうとして轢き殺されそうになった人。

これらの長旅におけるリスクの要素は非常に大きいものであり、なぜ正気の人間がこんなふうに生命を危険にさらすのか、理解することは容易ではない。頭に浮かぶ唯一の説明は、絶望[自暴自棄]である。ここで言わんとしていることは、移民たちが他の選択肢を得られないような極端な状況に押しやられている、ということだ。

最近のアメリカのアフガニスタン撤退の結果として生じた状況から、またしても明らかになったように、人々が紛争地帯から逃げるように仕向ける最大の要因が絶望であることは、実際にしばしばある。干魃や山火事、海面上昇のような地球温暖化によるいくつかの破局的な影響も、人々が移住せざるを得なくなる要因となりうる。そうした移動もまた、絶望によって効果的に駆動されている。しかし、人生の最良の時期にいる若い男性たちがバングラデシュやセネガルやモロッコのような比較的平和な国から立ち去っている事態に対しては、こうした説明はほとんど適用できない。移動に必要な資金を集めることができるというまさにその事実が、彼らに別の選択肢がまったく無いわけではないことを指し示している。[26] では、なぜ彼らは命を脅かすようなリスクに身をさらすのだろうか?

この質問を、私はイタリアで会った移民たちに頻繁に投げかけた。彼らの回答はさまざまに異なっていたが、質問の前提が間違っていることを私に認識させたという点では、互いに似通ったものだった。リスクというのは測量可能な量ではなく、むしろ年齢や物質的な状況、人生経験(ないしその欠如)に依存した、ひとつの知覚なのである。ここでもまた、ソーシャルメディアとインターネットが重要な役割を果たしている。

移住する予定の人々のもとに回ってくる情報の多くは、すでに目的地に到着した友人や親縁者からのものである。そうした人々の説明のなかでは、旅の途中で起こった災厄は、めったに命にかかわることはないリスクとして控え目に伝えられることがしばしばだ。あるいは、そうしたリスクは、勇敢さや決断によって克服される単なる障害物として提示される。

多くの(すこし年上の)若者たちがすでに旅立ってしまった村で育つ少年は、友人たちの旅の説明によって心を動かされるのかもしれない。しかし彼らの旅という見本は、他の種類の誘導要因を生み出すこともあるだろう。年配の村人たちが移民の親類を誇りに思っていること、海外からの仕送りによって物品が購入されることが、その少年に対して、自分も似たような移住をしなければ家族への義務を果たせないのだという確信を抱かせるのかもしれない。このようにして「移民という文化が時間をかけて形成される。そして移民が社会的な規範ないし現代の通過儀礼になる。そこでは故郷に留まることは失敗や野心の欠如と結びつけられるのである」。[27] 言い換えれば、すでに多くの人々が立ち去ってしまった村では、リスクを恐れてそうしないことはただの臆病としか見られないのだ。

しかしそうした決断が個人的になされるということは、まったく無いに等しい。難民や移民の移動はほとんど常に、(たいていは)近しい友人や親縁者からなる集団によってなされる。[28] いわばリスクが分散することで、このこともまた安全だという感覚を作り出すのだ。

そして、大陸間を移動させる機構(マシーナリー)が存在しているという事実それ自体、知らず知らずのうちに——足をのせた瞬間に動き出すベルトコンベヤーのように——その意思とほとんど無関係に人々が運び去られる原因となりうる。こんなことは、人間の移動の歴史のなかでこれまでになかったことだ。つまり、移民についての二人の専門家の言葉を借りれば「私たちが目撃しているのは単に伝統的な移民の密入国というストーリーの大規模版なのではない。私たちは目撃しているのは、むしろひとつのパラダイム転換だ[……]」。[29]

私は、家族と喧嘩をして故郷から逃げ出してきた何人かの若いベンガル人やパンジャーブ人たちに会った。彼らはほとんど不注意でそのベルトコンベヤーに乗ってしまい、はるばるイタリアまで運ばれてきたのだった。父親と喧嘩をして地元の鉄道駅まで逃げた14歳のパキスタン人の少年がした旅も、そうした旅の一例だった。別の時代であれば、彼は別の街の親戚のもとで何週間か過ごしたあとで両親のもとに帰っただろう。だがいまやこんな時代なので、イランとトルコを経てヨーロッパへ向かう長距離の海外旅行に出かけようとしているグループに彼は出会ってしまった。何度も死にそうな目に遭いながらも生き延び、彼はとうとうローマにまで到着した。私は他に、パキスタンから来た何人かの元農民たちにも出会ったが、彼らの土地は2014年のジェルム河の氾濫によって水浸しになってしまっていた。[30] 別の時代であれば、彼らは都市部に移動するか、洪水が退いた後で生活を立て直そうとするかだっただろう。しかし現代にあって、彼らもまたそうする代わりにヨーロッパへと向かうことを選んだ。彼らにとっては、その決断はべつに劇的なものではなかった。こうしたことからも、そうした移動がいかに普通なものになっており、ありふれたものにすら思われはじめているかが分かる。

もちろん、移民たちが道中で危惧を抱くのも珍しいことではない。だが旅を中断できる者はごくわずかで、その理由はたいていの場合、ガイドたちや移民仲間の集団によって邪魔されるからである。しかし、彼らに帰ることを許さない事由が単なるプライドであったり、腰抜けや臆病者と見なされることへの怖れであったりする場合も非常に多い。

移民たちと話すなかで幾度となく思い知らされたことだが、彼らの大半はほとんど自然なこととしてある種の危険を求めるような年齢だったのだ。例えば、過激な冒険家が危険を求めて活火山の斜面を橇で滑り降りたり、大峡谷へと懸垂下降をしたりするように。実際ある種の人間にとっては、危険は抑止する要因である以上に動機となる要因なのだ。

逆に言えば、いくつかの社会においては自ら進んで危険に身をさらすことが成人へのステップであると長いあいだ見なされてきた。たとえば、古代以来さまざまな種類の試練がライフサイクル上の儀式として機能してきた。[31] 今日、困難な海外への旅をすることが若者にとって普通のことになった地域では、移民もまた似たようなプリズムを通して見られている。すなわち、家族を支えることができる一人前の大人であると認められるためのステップとして。[32]

移民に関する話題では、こうしたアナロジーは強引で軽薄にすら響くかもしれない。しかし、モッロコ沿岸の都市セウタを取り囲んでいる重装備フェンスによじ登ってヨーロッパへの移住を成功させた、カメルーン人のダヴィド(Davide)の場合を考えてみよう。メリリャと並び、セウタはアフリカに二つあるスペイン領の飛び地のうちの一つだ。どちらかの都市になんとか足を踏み入れた移民たちは、法律によってヨーロッパ大陸に到達したのと同じように扱われなければならない。両都市は、塹壕と何層ものフェンスがまわりに巡らされており、フェンスの上端にはレザーワイヤーが取り付けられている。そして、最新式の兵器をそろえたスペイン軍とモロッコ軍の巨大な分隊によって護衛されている。

ダヴィドは、2013年9月に25歳でカメルーンを離れ、2018年にマドリードで『シカゴ・パブリック・ラジオ』のデイヴィッド・ケステンバウムのインタビューを受けた。[33] ケステンバウムの言葉では、「ダヴィドは、自分が冒険に出発する子供であるかのように出来事全体を描写している。[……]アフリカからヨーロッパへ到達した人々の多数とは異なり、自分は故郷で迫害されていたわけではないと語った。自分は飢えているわけではなかったし、暴力から逃れたわけでもなかったのだと。単に世界について好奇心を持っており、世界を見たくてわくわくしていたのだ」。

ダヴィドはカメルーンからアルジェリアへと旅し、そこで地中海を渡らなくてもセウタとメリリャを取り囲むフェンスを越えることでヨーロッパに到達できることを学んだ。そういうわけで、ダヴィドはモロッコに移動して移民予定者の大群にくわわった。彼らはアフリカ中から集まってきていて、二つの都市の近くでキャンプをしながら定期的に越境を試みていた。

「はじめのうちは」とダヴィドは語っている。「ぼくの意見は、ほら、ぼくはすごく勇気があって、それに……チャレンジが好きですから。一回でいけるだろうと思いました。楽観的すぎるけど、そういうタイプの人間なので。いつもは、やってみれば一回でできるんです」。

フェンスを越えようとするダヴィドに最初の試みは、期待を持たせるものだった。塹壕を超えて三つ目の障壁までたどり着くことができたからだ。「なんて言えばいいかわからないけど、不思議な感じでした。ぼくは「いけるだろう」と思っていて、それから「無理だ」と思いました。それからうまくいきそうになって、つい「こうすればいいんだ。いける、いける」と声に出しました。でもどう表現すればいいかわかりません。そういうことなんです」。

ここでケステンバウムが口を挟んでいる。「クレイジーなスポーツみたいな感じ?」

「ええ」とダヴィドが答える。「まさに! まさにその通り。あなたの言うように、あれはおかしなスポーツでした」。

だがダヴィドの最初の試みは、他の多数の人たちと同じように失敗した。一年が経過し、彼はこう自問しはじめた。「なんでこんなことをしているんだ? これがなんになるんだ?[……]ぼくは何もかも投げ出すことを考えていました。泣きそうでした」。

しかし他ならぬフェンスがダヴィドをその地に引き留めた。「それはただのフェンスという以上のものなんです。馬鹿げて聞こえるでしょうけど、このフェンスのなかには何か神秘的なものがあるんです。フェンスの前に来ると動けなくなるという人たちもいました。[……]フェンスのなかには精霊がいて、ことあるごとに邪魔しようするに違いありません。ほんとうに強力な何かがあって、ただのフェンスじゃないんです」。

失敗に終わった二年間の試みののち、ダヴィドはついに越境に成功した。だが彼の喜びは長くは続かなかった。「ついにやってのけたということが分かってくると、それは真空みたいでした。ほんとうにそうなんです。モロッコにいたときは、向こう側に着けばすごく幸せになれるだろうとぼくたちはみな思っていました。しかし着いてしまえば何も感じない。感情がなくなってしまうんです」。

ダヴィドの経験が思い出させてくれるのは、試練という観念はつねに人間にとってある種の魅力を持ってきたということだ。だからこそ多くの移民にとって、その旅が人生の決定的に重要な瞬間になったのだ。このことはある意味で、彼らの窮境のもっとも奇妙な側面でもある。つまり、ヨーロッパで彼らはある種の政治的理性によって迎えられるが、それは犠牲者にのみ共感を与えるようなタイプのリベラリズムなのだ。そういうわけで、国家と交渉したり活動家たちと話したりするうちに、彼らは自分自身を犠牲者として、すなわち、単に外部の力によって強制されるだけの行為主体性(エイジェンシー)を持たない客体として提示することを覚える。[34] しかし彼ら自身の目からと同様に、故郷の家族の目から見ても、彼らは自らの運命を手中に収め、恐ろしい試練を耐え抜いた英雄なのである。[35] したがって、自分たちの長旅の最悪の部分が路上や海上の時間ではなく、むしろヨーロッパの移民キャンプで何もせずに過ごした数か月や数年間だったと彼らの多くが語るのも不思議ではない。そうしたキャンプでは、待つことと眠ることのほかにすることは何もない。食べるものと住居があり手当てが与えられていることも、ほとんど慰めにはならない。待つことと何もしないことが、彼らの精神を破壊するのである。

5.

移民たちの話に耳を傾けるなかで、私は自分が長いこと小説の題材にしてきた長旅との共通性に驚かされるということがよくあった。つまり、19世紀の年季奉公の労働者(「苦力(クーリー)」)たちの航海だ。[36] それらのあいだの平行性のいくつかは、不気味なほどだった。苦力たちもまた主に若者であり、圧倒的に男性が多かった。それから同じように、ブローカー(ダラール)(dalals)やその他の仲介者(ダファーダー(duffadars)とマハージャーン(mahajans)、つまり募集係と契約係)が、移送の機構における極めて重要な歯車となっていた。そしてここでもまた、負債と貸付が機械の潤滑油として決定的に重要だった。[37] 苦力たちの移動をとりまく状況という点でも、驚くような共通性がいくつも存在した。苦力たちも、暴力的な見張り番や監督官(主人(マイストリー)たち(maistries))によって取り締まられ、食い物にされていた。彼らもまた閉鎖空間に詰め込まれ、乏しい配給食糧で食いつながなければならなかった。棒や鞭で打たれ、目の前で仲間たちが死んでいくのを目にする。——こうしたことはどれも、 私の『トキ三部作(アイビス・トリロジー)』というフィクションの帆船に乗船したことがある人たちには馴染みのものだろう。

故郷に残してきた人々とのあいだの結びつきの強固さという点もまた、新しい移民たちと共通している。今日では、ヨーロッパの公式の移民受入システムに加入すると、移民と難民の人々は日々の生活手当にくわえて週ごとに携帯電話のための支給を受け取る。合計額は月に150ユーロ程度にのぼる。多くの移民たちは、十代の少年たちも含めて、この額の大半を故郷に仕送りする。息子の旅の資金を支払うために困窮状態に陥り、仕送りのほかに生計手段を持たないという家庭もしばしば存在する。故郷に残してきた家族を支えるために若い移民たちが行う自己犠牲に心を動かされないということは不可能だ。同じように苦力たちもまた年季奉公の身でありながら、故郷のインドの村に何らかの仕送りができるように、地球の反対のプランテーションで生活を切り詰めて貯金をしていた。

苦力貿易と同様に、現在の移動の鎖もまた、利潤を動力とする車輪のうえに乗っている。現在と同様に当時も、人間を取引の対象とすることは莫大な利益をもたらす交易の一形態だった。では何が違うのかといえば——これは決定的に重要なことだが——、年季奉公労働のシステムは、以前の奴隷貿易と同様に西洋の宗主国によって運営され、管理されていた。反対に、今日の移民の流れは国家の管理の外側で機能しており、そこから生じる利益が国家によって認可されたエージェントの手に渡ることはない。[38] そして利益が非常に大きなものなので、この移動の機構はいまや自ら市場を作り出すことでその装置自身を維持することができるようになっているのだ。こうした交易は、いまや麻薬ビジネスを抜いて世界最大の闇ビジネスとなっている。[39] このシステムは、あらゆる確立された権威の外側にあり、自発的な生命を獲得するようになった。

現在のコミュニケーション・テクノロジーは、こうした交易が国家による管理を逃れることを可能にした決定的な要因である。そしてまた、年季奉公のシステムと現在の大量移動とのあいだの決定的な差異を生み出しているものでもある。19世紀以来、情報の管理とフローの点で完全な反転が起こってきたのだ。

年季奉公が行われていた時期、とりわけその初期には、労働者たちは自分たちが身をゆだねていたシステムについて何も知らなかった。自分たちがどこへ向かっているのか、そこでどんな状況が待ち構えているのかについて、何も分かっていないことがしばしばだった。 宗主国の国々が彼らの移送を管理するために作り出した法律や規則についても、ほとんど知らなかった。

それに対して、宗主国側は年季奉公者たちについてなんでも知っていた。出身地や属するカーストおよび部族について、偏執的な詳細さで記録していた。彼らの身体さえも、繊細な注意をはらって研究された。とりわけ注目されたのが、傷跡などの個人を特定しうる特徴だった。彼らがどこへ、いつ、そしてどのように旅するかを決定したのは、国家だった。到着時においても、彼らを主人たちに割り当てたのは、またしても国家だった。機構全体が、宗主国によって作り出され、統御されていたのだ。

情報の非対称性は、いまや完全に反転している。今日の移民たちは自らの資金とネットワークを用いて自分たちの旅を主導し、到着するころには、ホスト国の関連する法律や規則について完全に知悉している。自分たちの権利について知っているし、法にもとづいてどのくらいの金額が付与されるかも知っている。彼らは移民のシステムについてあらゆることを知っており、そのなかには、承認がもっとも得られやすい申請理由——例えば、政治や宗教、性的指向や性同一性を理由にした迫害など——についての知識も含まれる。

それに対して国家が移民たちについて知っていることは非常に少ない。彼らが何者で、どこから来ていて、何を動機としているのかについて、きわめて不明瞭な理解しか持っていない。例えばシリア人とエジプト人のあいだの違いや、バングラデシュ人ムスリムとインド出身のベンガル人ヒンドゥー教徒のあいだの違いについて、知識を持っているヨーロッパの公務員はいるかいないか分からないほど少ない。[40]

こうした反転した非対称性が、現在の人々の移植と先行するそれとのあいだに明確なコントラストを作っている。苦力貿易は、奴隷貿易と同様、砂糖きびやタバコ、コーヒー、綿、紅茶、ゴムといった特定の商品を生産するために行われていた。こうした商品は、何千マイルも離れた市場、すなわち植民者たちの故国での市場を目標に生産されていた。 大都市の住民の欲望と食欲の満たすために人々は大陸を越えて移動し、そこから吐き出される儲かる商品の洪水はますます膨れ上がっていった。こうした制度のなかで、奴隷たちと苦力たちは生産者であって、消費者ではなかった。彼らが主人たちの欲望にあこがれるということは不可能だった。

しかし私が会ってきた若い移民たちが大陸を越えて移動を行ったのは、所有することを望むことすらできない物を生産する巨大機械の部品になるためではなかった。反対に、他の人々と同様に、彼らが望むのはまさにスマートフォンやコンピューターや自動車といった製品なのである。どうしてそうでないということがあるだろう? 子供の頃から、彼らが目にしてきた最も魅力的なイメージは、自分たちを取り巻く河川や野原ではなく、こうした製品なのだから。そしてこうしたイメージによって焚きつけられた渇望が、彼らをグローバルな欲望の市民社会のなかへと組み込んできたのである。そしてそこには摩擦が存在する。というもの、自分たちがファンタジーの犠牲者であったと彼らの多くが気づきはじめたのは、ヨーロッパに到着したあとだったからだ。広告に出てくる人々のような生活という彼らの夢は、自分たちがあとにしてきた国々でかなえられないのと同様に、イタリアでもかなえることはできないのだと。

そうした状況のなかでは、多くの移民たちが幻滅し絶望するのもほとんど不思議ではない。彼らの多くにとって、現在の状況は自分たちがあとに残してきた状況に比べてそれほど良いものではない。そのうえ故郷では、いかに物質的に欠乏していたとしても、少なくとも家族や共同体という慰めを手にしていたのだ。

幻滅と失望は、紛争地域から逃れてきた難民たちの身にも起こる。「私の人生」とあるシリア人難民は2015年に調査者に語った。「それはもう終わってしまったと思う。ほんとうに、シリアでの人生は素晴らしかったんだ」。[41]

6.

バルカン半島や地中海を通ってやってくる最近の移民の波についての私たちの印象が形成される際に、視覚的なイメージが非常に重要な役割を果たしてきた。移民たちが大挙して山越えをするイメージや人々が溺れて海から引き上げられるイメージ以上に、目を引き付け、生理的な訴求力をもつイメージを想像するのは難しい。こうしたイメージの持つ力が非常に強いために、こうした長旅は何らかの意味で原始的ないし数世代前のものと見なされることになってしまった。そういうわけで西側の人間は、多くの移民が携帯電話を所持しているうえにその使用に習熟していると知って驚き、それどころかショックを受けさえするのである。[42] 難民危機が頂点に達したとき、ヨーロッパのいくつかの国は移民と難民に携帯電話を引き渡すことを要求する法律を通しさえした。[43]

移民と携帯電話というテーマについて誰よりも饒舌だったのはドナルド・トランプである。2015年12月のスピーチで、トランプは以下の一連の疑問を投げかけた。「まず第一に、なぜ移民の奴らが携帯電話を持っているんだ? おかしなことだ。だれがその携帯電話の料金を払う? その携帯電話はどこで手に入れる? だれに電話をかけるっていうんだ? 考えられるか? 携帯電話、携帯電話、携帯電話だらけだ。いったいなぜ、そしてどこで携帯電話を手に入れるんだ?」[44]

こうした疑問が示唆しているのは、現代の移民という現象がいかに深く誤解されてきたかということだ。携帯電話とサイバー・テクノロジーは、移民たちの長距離移動というコンテクストにおける変則的なポイントなのではない。それとは反対に、そうした長旅が可能になるうえで決定的な役割を演じているのだ。[45] もちろん、背景には他の多数の要因も存在している。言っておかなければならないのは、移民というのはきわめて複雑かつ多くの次元からなる現象であり、その現象のなかでは戦争や政治的な摩擦、国家の崩壊、気候変動、貧困、そして不平等といった要素がすべて重要なものになりうるということである。しかしそれでも変わらないのは、今日ではサイバー・テクノロジーが多数の人間の移動を可能にする非常に重要な要因であるということだ。原始的ないし数世代前のものどころか、今日の移民たちは、商品と資本が世界中をシームレスに流れることを可能にしているまさにそのテクノロジーによって、力を与えられてきたのである。

シリアを例にとってみよう。2016年に国を離れた難民たちは、言うまでもなく紛争のために避難することになったのだった。その摩擦はと言えば、それ以前の長期におよぶ干魃のなかから生じてきたものであり、その干魃は人為起源の気候変動によって引き起こされたか、あるいは悪化させられてきたものだ。[46] しかし、ドイツの移民政策に修正があったというニュースがあれほど高速で拡散されたのは携帯電話のためであり、その結果としてものすごいスピードと規模での出国が起こった。[47] では、こうしたことによって難民たちの苦しみを和らげられるだろうか? そんなことは断じてない。彼らの苦しみは、難民たちが何世紀にもわたって耐えつづけてきた苦しみと、何らの違いはないのである。

船一杯に乗った移民たちが海を漂流している写真を目にすると、人々はそのイメージを時代の乖離として理解してしまう傾向にある。つまり、原始的なものと現代的なもの、遅れたものと進んだものとが対峙しているとみなしてしまうのだ。このことから生じるのが、右派においてますます広まりつつある誤った考えである——「バリアないし障壁を打ち立てれば、これらの二つの時間的な次元を分離しておくことができる」。しかしながら、こうしたイメージは左派の側にも似たような誤った考えを生じさせる——「移民の流れは、その源となっている国に「成長」を生み出すことでせき止めることができる」。しかし現実には、デジタル技術によって相互に結び合わさった世界において、「成長」は欲望や憧れを拡大することでそれ自体が人々の移動を動機づける要因となりうるのである。だからこそ、ミドルクラスの(さらには富裕層の)バングラデシュ人の若者たちが、人が充満したダッカを脱出してフィンランド——そこは「静かでひとけのない国」で「広大な野原となにもない空間があるんだ」[48]——で生活を送ることを夢見るという事態が生じるのだ。

私たちが認識しなければならないのは、今日の人々の流れを形成している力が、生産・消費・流通のプロセスにおける歯止めの利かない加速を駆動している力と、まったく同じものであるということだ。大量の移民が共同体の崩壊を引き起こすのではないかと憂慮している人々は——私の見るところ、こうした不安には正当な理由があると付け加えておかなければならないが——「成長」と共同体の保存とのあいだには根底的な矛盾があることを理解しなければならない。別の人々を排除することが共同体を保存するための最善の方法なのだという考えは、幻覚にほかならない。共同体を保存することができる唯一の方法は、「永続的な加速しつづける成長」という広く普及しているパラダイムを捨て去ることなのだ。

7.

このような人々の大いなる引き抜き(アップルーティング)が、気候変動の影響が強まりつつあるまさにそのときに生じているのは、偶然ではない。その二つのあいだの関係は非常に緊密であるため、現代の移民が気候変動の結果であるかどうかを問うことは、(私の考えでは)誤った問いである。気候変動と移民とは、実のところ、一つの事象の二つの側面であり、同一の起源を有している。なぜなら両者はともに、生産・消費・流通のプロセスのとどまるところを知らない成長と加速の結果だからである。この意味で、私たちが現在目撃しているその他の引き抜き——樹木、動物、植物、氷河、などなど——を駆動している力学は、人間の移動を駆動している力学と、まったく同じものだ。この点においてもまた、人間の歴史はふたたび地球の歴史と重なり合ってきたのである。[49]

(翻訳:中村峻太郎)

出典:Amitav Ghosh, The Great Uprooting. Migration and Displacement in an Age of Planetary Crisis. In: The Massachusetts Review, vol.62-4, Winter 2021, pp. 712-733.

Url: https://www.massreview.org/sites/default/files/17_62.4Ghosh.pdf

Copyright © 2021, Amitav Ghosh, used by permission of The Wylie Agency (UK) Limited.


[1] この地名はインドの西ベンガル州とバングラデシュとを包含するものである。

[2] 私は「移民migrants」と「難民refugees」という言葉をほとんど互換可能なものとして用いている。というのも、Assefaw Bariagaberの観察の通り、「難民と移民のあいだの概念的な区別は、ますますあいまいなものになっている」からである(“Globalization, Imitation Behavior, and Refugees from Eritrea,” p. 15, Africa Today, Vol. 60, No. 2, Special Issue: Postliberation Eritrea (Winter 2013): 3-18) 。「難民」と「移民」という言葉の歴史についての議論は Katerina Kondova, The Smartphone as a Lifeline: The Impact of Digital Communications Technologies and Services on Refugees’ Experiences During Their Flight, Master’s Thesis, Erasmus School of History, Culture and Communication, Erasmus University Rotterdam (2016): 10-11を参照のこと。

[3] 「アメリカの政府機関は、世界で7番目に人口が多いバングラデシュのことを「発展途上国、すなわちイスラム世界と南アジアにおける中庸の代弁者」と記述してきた。」Smith, Paul J. “Climate Change, Mass Migration and the Military Response,” Orbis, 2007: 631, https://www.fpri.org/article/2007/10/climate-change-mass-migration-military-response/  (accessed 9/7/2021)

[4] Basu, Kaushik. “Bangladesh at 50,” Project Syndicate, Mar 5, 2021. https://www.project-syndicate.org/commentary/bangladesh-independence-threereasons-for-economic-success-by-kaushik-basu-2021-03  (accessed 9/4/2021).

[5] 例えば、UNHCRの2017年の発表 “ITALY Sea arrivals dashboard,” を参照のこと。https://reliefweb.int/sites/reliefweb.int/files/resources/58706 .pdf  (accessed 9/4/2021). バングラデシュは当時、移民の出身国のリストの第2位だった。それは2021年になっても変わっていない。Cf. “Most common nationalities of Mediterranean sea and land arrivals from January 2021,” https://data2.unhcr.org/en/situations/mediterranean  (accessed 9/4/2021).

[6] 例えば、 “Bangladesh Prepares for a Changing Climate,” IMF Country Focus, September 18, 2019. https://www.imf.org:2019/09/18や Mastrojeni, Grammeno, and Pasini, Antonello. Effetto Serra, effetto Guerra, Chiarelettere, Milano, 2017, loc. 919を参照のこと。

[7] 数えきれない企業が「より良い生活」をスローガンとして用いている。例えば、“Panasonic Establishes ‘A Better Life, A Better World’ as its New Brand Slogan,” Sept. 4, 2013: https://news.panasonic.com/global/press/data/2013/09/en130904-2/en130904-2.html  (accessed 9/4/2013)を参照のこと。

[8] イタリアでの援助と、洞察を分け与えてくれたことに対して、以下の人々に感謝したい。Luca Ciabarri, Mauro Van Aken, Roberto Beneduce, Shail Jha, Stefano Liberti, Sara Scarafia, Antonio Fraschilla, Mara Matta, Fausto Melluso, Gianfranco Benello, Alessandro Triulzi, Paola Splendore and Hasnahena Dalia Mamataz。

[9] 例えば、 Chaturvedi, Sanjay, and Doyle, Timothy. “Geopolitics of fear and the emergence of ‘climate refugees’: imaginative geographies of climate change and displacements in Bangladesh,” Journal of the Indian Ocean Region 6:2, 206-222; and Reuveny, Rafael. “Climate change-induced migration and violent conflict,” Political Geography 26 (2007): 656-673を参照のこと。

[10] Nayar, Varun. “Reframing Migration: A Conversation With Historian Sunil Amrith,” Pacific Standard, Nov. 9, 2017: https://psmag.com/social-justice/reframing-global-migration-with-sunil-amrith.

[11] Assefaw Bariagaberの言うところでは、「模倣はコストを最小化し、利益を最大化するうえ、不安を減らす。ありうる結果がより予測可能なものであるからだ」。” Bariagaber, op. cit., p. 5.

[12] 例えば、Visram, Rozina. Ayahs, Lascars and Princes: Indians in Britain, 1700–1947 (London: Pluto Press, 1986); Asians in Britain: 400 Years of History (London: Pluto Press, 2002); Fisher, Michael H. Counterflows to Colonialism: Indian Travellers and Settlers in Britain, 1600–1857 (Permanent Black, 2004); Alexander, Claire and Joya Chatterji and Annu Jalais. The Bengal Diaspora; Rethinking Muslim Migration (New York: Routledge, 2016); and my article “Of Fanas and Forecastles: The Indian Ocean and Some Lost Languages of the Age of Sail,” Economic and Political Weekly, 21 June 2008を参照のこと。水夫たちのアメリカ合衆国への旅についてはVivek Baldのすばらしい著作である Bengali Harlem and the Lost Histories of South Asian America (Harvard University Press, 2013)を参照のこと。

[13] 「2012年、Gallupは800万人のバングラデシュ人がアメリカに移住したいという欲望を表明したと報告しており(対してインド人が1000万人、メキシコ人は500万人であった)、移住がかつてない数のバングラデシュ人の野望となっていることはあきらかである」。Bal, Ellen. “Yearning for faraway places: the construction of migration desires among young and educated Bangladeshis in Dhaka,” Identities 21:3 (2014): 279.

[14] Shullenberger, Geoff. “Mimesis, Violence and Facebook: Peter Thiel’s French Connection,” https://thesocietypages.org/cyborgology/2016/08/13/mimesis-violence-and-facebook-peter-thiels-french-connection-full-essay/.  別のエッセイで、シュレンバーガーは次のように書いている。「ソーシャルメディアのプラットフォームは、ルネ・ジラールの分析が示唆しているように、欲望を産出する機械なのである。その均質化する構造——これがもっとも褒め称えられている点なのだが——は、あらゆるユーザーをお互いにとっての潜在的なモデル、ペア、そして競争相手へと変換する。関心のエコノミーにおける欲望の対象(この対象は形を持たない)をめぐる、永久的な競争のゲームへとユーザーを閉じ込めるのだ。しかしユーザーを規格化されたフォーマットのなかに埋め込むことで、ソーシャルメディアはあらゆる個人を単純で量的な項によって即座に比較可能なものにしてしまう。 即席の比較が可能になることで、水平的な競争関係がユニバーサルに増殖するための条件ができあがる。このようなユニバーサル化された模倣的な敵対関係という状況において、スケープゴートが生じるための諸条件が成熟する。さまざまな緊張関係が、共同体を形作るいじめのエピソードにおいて(無罪の)犠牲者へと向け変えられる。その共同体は、模倣の手段(シェア、リツイート、ハッシュタグなど)によって可能になるのである」。https://thenewinquiry.com/the-scapegoating-machine/

[15] インドにおける携帯電話の普及に関する詳細な説明についてはAgrawal, Ravi. India Connected: How the Smartphone Is Transforming the World’s Largest Democracy (New Delhi: Oxford University Press, 2018)を参照のこと。

[16] 私のここでの議論は N. Katherine Hayles と彼女の論考 “Cognitive Assemblages: Technical Agency and Human Interactions,’ Critical Inquiry 43 (Autumn 2016): 32 – 55; “The Cognitive Nonconscious: Enlarging the Mind of the Humanities,” Critical Inquiry 42 (2016): 783-807に多くを負っている。これらの論考に注意を促してくれたDebjani Gangulyに感謝する。

[17] Haylesが記しているように、こうした状況においては「人間と技術の双方が、道徳的な行為主体性(エイジェンシー)ならびに(実質的に)道徳的な責任を分有しているのである……」。 (“The Cognitive Nonconscious” p. 804).

[18] 例えば、Singer, P. W. “The Ethics of Killer Applications: Why Is It So Hard to Talk About Morality When It Comes to New Military Technology?” Journal of Military Ethics, Vol. 9, No. 4 (2010): 299-312を参照のこと。

[19] 「コンピューターのメディアは」とHaylesは書いている。「単に新しいテクノロジーというのではない。それらは本質的に認知に関わるテクノロジーであり、そのために本質的に認知的な種であるホモ・サピエンスと特別な関係を持つのである」。 (“The Cognitive Nonconscious,” p. 803).

[20] 「新しいテクノロジーの出現は、コミュニケーションのコストの削減とコミュニケーションの内容の「豊かさ」を生むものであり(さらには旅費も削減してくれる)、移民のプロセスと構造をともに変えつつある。すでに外国にいる友人・親縁者をより多く見つけ、その援助を得やすくすることで、新しいテクノロジーは雪だるま式に増える移住をより容易なものにしている」Komito, Lee. “Social Media and Migration: Virtual Community 2.0,” Journal of the American Society for Information Science and Technology, 62(6) (2011): p. 1077.

[21]「ソーシャルメディアは密入国の実施において決定的に重要なものになっている。というのもそれらが異なるアクター間でのより迅速なコミュニケーションを可能にすることで、ネットワークの運用がより柔軟になり、新たな環境への適応が容易なものになるからである」Tinti, Peter and Tuesday Reitano. Migrant, Refugee, Smuggler, Savior (New York: Oxford University Press, 2017). p. 62.

[22] Andrea Di NicolaとGiampaolo Musumeciが研究書 Confessioni di un trafficante di uomini (Milano: Chiaralettere, 2014)のなかで引用している。Digital edition, my translation. loc 1620.

[23] Cf. Brunwasser, Matthew. “A 21st-Century Migrant’s Essentials: Food, Shelter, Smartphone,” New York Times, August 25, 2015.

[24] ブルーノ・ラトゥールがコメントしているように、「不可視性を要求するということが、これらの技術的媒介物の特質なのである」。Latour, Bruno. “Morality and Technology; the End of the Means,” Venn, Couze, trans. Theory, Culture and Society, Vol. 19 (5/6)(2002): 247-260.

[25] Andrea Di Nicola and Giampaolo Musumeci, op. cit. locs. 1888–1901; my translation.

[26] TintiとReitanoが指摘しているように、「これらのもっとも移動しやすい人々が、貧しい人たちのなかのもっとも貧しい人であることはめったにない。[……]移住には、それが違法なものであれ、コストが必要で、もっとも貧しい人々がそれを持っていることはまれである」。(Op. cit. 630).

[27] Tinti and Reitano, op. cit., p.1087.

[28] あるシリア人難民の言葉によれば、「たいていの人は家族やグループなんかで行くんだ。一人ってことはめったにない。仮に一人だとしても、旅のあいだに友達かなんかになる人に出会うものだ」。 (Kondova, op. cit. p. 40).

[29] Tinti and Reitano, op. cit., p. 5.

[30] Cf. Irshad, Muhammad, and Mobeen, Muhammad. “Flood severity assessment in Jhelum water shed of Punjab Province, Pakistan,” Journal of Biodiversity and Environmental Sciences, 16(2)(2020): 39–49.

[31] ライフサイクル上の一段階としての移民についての詳しい説明はVan Aken, Mauro. “The Experience and Hierarchy of Migration: Egyptian Labourers in the Jordan Valley,” (2006): 231-236を参照のこと。

https://www.semanticscholar.org/paper/The-hierarchy-and-experience-of-migration%3A-Egyptian-Aken/be53e848be6867608e7120f519027f588b58c52e  (accessed 9/8/2021).

[32] イタリアの人類学者で民族心理学者であるRoberto Beneduceと、トリノのフランツ・ファノン・センターの彼の同僚たちが、移民と伝統的な儀式および霊的な信仰との関係の調査における第一人者となってきた。例えば彼の論文“Traumatic pasts and the historical imagination: Symptoms of loss, postcolonial suffering, and counter-memories among African migrants,” Transcultural Psychiatry, Vol. 53(3)(2016): 261–285を参照のこと。Beneduceとともにファノン・センターで働いている人類学者のCristiana Giordanoも、とりわけ彼女の著作 Migrants in Translation: Caring and the Logics of Difference in Contemporary Italy (Oakland: University of California Press, 2014)によって、このテーマにおける主要な貢献者となっている。

[33] Kestenbaum, David. “Just Another Kind of Outdoor Game,” This American Life, March 16, 2018: https://www.thisamericanlife.org/641/the-walls/actone-17.

[34] Roberto Benduceは「人道主義的な職員や法律家と亡命申請者たちのあいだで説得力のあるストーリーが構築される」際に立ち上がる共謀関係の諸形式について、詳細に分析してきた。 (“The Moral Economy of Lying: Subjectcraft, Narrative Capital, and Uncertainty in the Politics of Asylum,” Medical Anthropology, 34:6, 551–571, DOI: 10.1080/01459740.2015.1074576, p. 563). 似たものとしてGiordanoの観察では、「翻訳という概念的な行為を通じて、セラピー的・官僚的・宗教的な諸装置の複雑な相互作用が、外国から来た他者を政治的なカテゴリー——「移民」や「難民」、「犠牲者」——に変換する。国家が認識しうるそうしたカテゴリーは、彼らのあいだの差異を合法化するのに利用されうるものである」。Op. cit., p. 10.

[35] 「イタリアの新聞が新しい奴隷として再洗礼を施した人々は、出身の国では小さな英雄たちと見なされているのだ」。(my translation, from Gabriele del Grande’s Il Mare di Mezzo; Ai Tempi dei Respingimenti, Infinito Edizioni, fourth edition, 2012), p. 212.

[36] 私の2008年の小説『ポパイの海』はそうした長旅のいくつかを題材にしていた。他には、Anderson, Clare. “Convicts and Coolies: Rethinking Indentured Labour in the Nineteenth Century,” Slavery and Abolition, Vol 30/1: 93-109, 2009; Bhana, Surendra, ed. Essays on Indentured Indians in Natal (Leeds: Peepal Tree, 1991); Carter, Marina. Servants, Sirdars and Settlers: Indians in Mauritius 1834–1874, (Delhi: Oxford University Press, 1995); Voices from Indenture: Experiences of Indian Migrants in the British Empire (London: Leicester University Press, 1996); and Lal, B.V. Girmitiyas: The Origins of Fiji Indians (Canberra, 1983; reprint. Lautoka: Fiji Institute of Applied Science, 2004)を参照のこと。

[37] Cf. Lal, B.V. Fiji Yatra: Aadhi Raat Se Aage (New Delhi: National Book Trust, 2005); Teelock, Vijaya. Bitter sugar: Sugar and slavery in 19th century Mauritius (Mahatma Gandhi Inst., 1998); and Tinker, Hugh. A New System of Slavery: The Export of Indian Labour Overseas 1830–1920 (London, 1974).

[38] TintiとReitanoは、密入国のネットワークは「グローバルな移民の推進力となった。抜け穴をすばやく見つけ出し、新しい不安定な領域を開発し、将来の顧客と見なした脆弱な人々をターゲットにするのである。彼らはもはや、単に密入国のサービスへの需要に対応しているのだとはいえない。彼らは積極的に需要を作り出しているのだ」と記している。(Op. cit., p. 6).

[39] Tinti and Reitano, op. cit., p. 71.

[40] Beneduceは、EUの難民保護政策が「無知を生産している」と記している。それは「アイデンティティを組織的に消去するシステムなのだが、まさしく同時に「アイデンティティのパフォーマンス」を要求しながらそうしているのである」。 (Beneduce, op. cit., p. 563).

[41] Kondova, op. cit., p. 36.

[42] Cf. O’Malley, James. “Surprised that Syrian refugees have smartphones? Sorry to break this to you, but you’re an idiot,” The Independent, Monday 07 September 2015.

[43] “Denmark, under fire, ups limit of valuables that refugees can keep,” Reuters, Jan. 8, 2016. https://www.reuters.com/article/us-europe-migrantsdenmark-idUSKBN0UM26220160108; and Bell, Bethany. “Europe migrants: Austria to seize migrants’ phones in asylum clampdown,” BBC, 20 April 2018, https://www.bbc.com/news/world-europe-43823166 (accessed 9/4/2021)を参照のこと。

[44] Brayton, Ed. “Trump and the Syrian Refugees with Cell Phones,” Patheos, Dec. 18, 2015. https://www.patheos.com/blogs/dispatches/2015/12/18/trump-and-the-syrian-refugees-with-cell-phones/ (accessed 9/4/2021). Kondova, Katerina. Op. cit., p. 5も参照のこと。

[45] 例えば、“Phones are now indispensable for refugees,” Economist, Feb. 11, 2017.

https://www.economist.com/international/2017/02/11/phones-are-now-indispensable-for-refugees (accessed 9/4/2021)を参照のこと。

[46] 例えば“National Security Implications of Climate-Related Risks and a Changing Climate; Response to Congressional Inquiry on National Security Implications of Climate-Related Risks and a Changing Climate,” p. 4. https://climateandsecurity.org/wp-content/uploads/2014/01/15_07_24-dod_gcc_congressional-report-on-nationalsecurity-implications-of-climate-change.pdf (accessed 9/7/21)を参照のこと。

[47] 著名なジャーナリストのAlessandro Leograndeが最近記しているところでは、「戦争から逃れてきたシリア人ならびに若いアフガニスタン人やパキスタン人たちもまた、フェイスブックや国際電話を通じてヨーロッパについてなんでも知っている[……]」。 Leogrande, Alessandro. La Frontiera (Feltrinelli, 2015) Digital edition, my translation. loc. 3336. 同じようにKaterina Kondovaの観察によれば、「[……]ここ数年でフェイスブックは、難民の旅のあらゆる側面と途上で必要なものに関する情報交換の、主要なプラットフォームになった。難民たちによって、あるいは難民たちのために作られたフェイスブックのグループは、かつてと現在の、そして未来の難民たちの集合場所になっており、そこでは旅についてのあらゆる種類の貴重な知見が流通している[……]」。Op. cit., p. 23.

[48] Bal, Ellen, op. cit., p. 286.

[49] Chakrabarty, Di


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