アニッサ・ラハディニンティヤス「アラフマイアニ——放浪者の修復プロジェクト、環境主義、そしてグローバル・イスラーム」


ニューヨーク近代美術館『ポスト』2021年8月11日

はじめに

訳者前書き:本記事はニュートーク近代美術館(MoMA:The Museum of Modern Art)が運営するオンライン・ジャーナル「ポスト」(Post)に掲載された、インドネシアのアーティスト、アラフマイアニ(Arahmaiani)の活動に関する論考(Arahmaiani: Nomadic Reparation Projects, Environmentalism, and Global Islam)の日本語訳です。筆者のアニッサ・ラハディニンティヤスはナショナル・ギャラリー・シンガポールでアシスタント・キュレーターを務め、インドネシアや東南アジア・イスラーム世界における近代、現代アートのキュレーションおよび研究を行なっています。本稿のキーパーソンであるアラフマイアニは1961年、インドネシア・バンドゥンで生まれたアーティストであり、世界各地で環境アートや環境活動に取り組んできました。彼女の取り組みの特徴的な点は、男性中心主義に基づく暴力的な宗教・社会規範や、その覇権による害を被る身体・自然環境に対してパフォーマンス・アートやコミュニティとの共同製作を通じてジェンダー的な観点からの再考を促してきたところにあると言えます。「船と風」ではこうした特徴を紹介しながら、気候変動時代と称される今日において生じる不均衡にいかにして向き合っていけるのか、どのような人と人、人と自然の関わり方がありえるのか、一緒に考えていければと思います。

原文前書き:筆者である美術史家のアニッサ・ラハディニンティヤスは、アラフマイアニによる長期的で、パフォーマティブなコミュニティ・ベースの作品『旗のプロジェクト』(Proyek Bendera)を、フェミニズムと環境主義、そしてイスラームという三位一体の社会・政治的動機からなるものとして捉え、インドネシアのアーティストの作品におけるこの三位一体的動機こそが、修復的で平等的な可能性の空間を拓くことができるのだと論じている。

アラフマイアニ

写真1.  『旗のプロジェクト』におけるアラフマイアニ。2019年、ルースィー・フォンテーニュ・カユ支所、バリ。写真はアラフマイアニ提供

アラフマイアニ(インドネシア、1961年生まれ)が現在進める共同プロジェクトの多くにおいて、環境主義はその中心にあり、それはグローバル・イスラームとフェミニズムに関する物事と密接に絡み合っている。2006年に始まったノマディックでコミュニティ・ベースのプロジェクトである『旗のプロジェクト』(Proyek Bendera)は、おそらくアラフマイアニの環境問題に対する取り組みを最も強く表した作品といえるだろう。『旗のプロジェクト』は、文字を縫い付けたカラフルな旗を使って、特定の場所で行う一連のパフォーマンスである——それは、ジョグジャカルタ、ドイツ、シンガポール、日本、チベットなど(全てをあげるときりがない)さまざまなコミュニティと共同で社会的、政治的、宗教的で環境にかかわる諸問題に取り組む、視覚的で創造的な運動である。このプロジェクトでは、アラフマイアニは色とりどりの旗に言葉を縫い付けることで、周縁化されてきた集団の声や主体性を表現し、力や誇り、帰属といった考えを伝達する1 。『旗のプロジェクト』のインスタレーションにおいて、アラフマイアニは地域コミュニティと密接に協働し、彼らが直面する特定の問題にもとづくアイデアやビジョンを構想し、議論し、それを旗のうえに具現化してきた。そして、その旗は共同パフォーマンスにおいて用いられる。『旗のプロジェクト』は、環境問題としばしば交差(インターセクト)する、ムスリム世界とそれ以外の世界との間の文化間・宗教間対話の問題に取り組むアラフマイアニのコミットメントを伝えている2 。2010年にジョグジャカルタで行われた『旗のプロジェクト』の背景には、アーティストのコミュニティとアムマルタ・プサントレン〔訳註:プサントレンとは、インドネシアやマレーシア、タイ南部などで見られるイスラーム教育機関、寄宿学校のこと〕およびブダヤ・カリオパク・プサントレンのサントリ(プサントレンやクルアーン学校の生徒)による共同制作、そして、2010年以降続くチベット・ラブ村の僧と住民による共同制作がある。それらはアラフマイアニの修復(reparation)への誘いを最もよく示しているだろう——イスラームのイメージ、女性や他の宗教/民族集団の疎外、そして自然環境を巡る課題が絡まり合った問題に対処するための方法である。

写真2. アラフマイアニ『旗のプロジェクト』展示風景 2017年、Museum MACAN (Modern and Contemporary Art in Nusantara) 、ジャカルタ。写真はアラフマイアニ提供

アラフマイアニの放浪(ノマド)生活は、彼女のアーティストとしてのキャリアの初期に始まった。1970年代後半から1980年代にかけての学生時代から、彼女の共同パフォーマンスはスハルトによる「新秩序」体制下の独裁政権(1967-98年)による暴力を批判することが多かった。1994年、ジャカルタで開催されたアラフマイアニの個展『セックス、コカ・コーラ、そして宗教』(Sex, Coca-Cola, and Religion)では、そこで展示された絵画『リンガ・ヨニ』(Lingga-Yoni、1993年)と『エタラセ』(Etalase)のインスタレーションが神を冒涜している、というムスリム観衆からの前代未聞の反動的な反応を引き起こした。反動的なムスリムたちは、アラビア文字と冒涜的なイメージを並置したとしてアラフマイアニを非難し、殺害予告を出した。そのため、アラフマイアニはインドネシアからオーストラリアに逃亡せざるを得なくなった。そこで彼女は私立の芸術学校で教鞭をとり、研究を続けることを決意した。それ以来、彼女はオランダやタイ、その他数カ所で国際的に活動し、展覧会を開催してきた。私の見方では、インドネシアの社会的・政治的生活におけるムスリムたちの反動的反応は、新秩序時代において高まったイスラームの伝統回帰への根本的なシフトによって呼び起こされたものである。アラフマイアニが家(ホーム)を離れざるを得なくなった時、縛られていないという経験は彼女の芸術活動に切り離せないものになった。放浪者であることで、彼女はさまざまな場所で活動し、彼女の関心ごとや芸術制作実践をより広く共有し、多種多様なコミュニティと積極的に協力することができるのである。アラフマイアニにとって、放浪者であることが固定性と有限性に挑戦し、ジャワからチベット、インドに至るまでのイスラーム以前とイスラーム化以降の実践の、さまざまな起源と循環を探求することを可能にし、さらに、それが彼女のムスリムであることについての信念と考えを形成し続けることになるのだと、私は理解している。

写真3. アラフマイアニ 『リンガ・ヨニ』 1993年。キャンバスにアクリリック、ライスペーパー。71 5/8 x 55 1/8 in. (182 x 140 cm). 展示風景 Arahmaiani: The Past Has Not Passed, Museum MACAN (Modern and Contemporary Art in Nusantara), ジャカルタ 2017年 写真はアラフマイアニ提供。

1990年代以降、アラフマイアニは評判を集めるなかでグローバルな現代アート展に積極的に参加し、女性に影響を与える社会的・政治的問題に熱心に取り組むことで、グローバル・サウスの現代アートに関する研究や出版物の最前線・中心に立つようになった3。展覧会、評論、学術的な事業を通じて、彼女の作品はインドネシアとアジアにおける近代・現代アートの世俗的な発展に貢献してきたフェミニストたちのプロジェクトの一つとしてしっかりと位置付けられている。本稿は、アラフマイアニによるジョグジャカルタのプサントレンや、チベットの仏教僧院との共同作品を、脱植民地化された世界におけるフェミニストの闘い、および修復と宗教をまたいだ環境主義の文脈に位置づけて分析しようとするものである。エドウィン・ユリエンスによる最近の論稿は、『ウンジュク・ラサ』(unjuk rasa)と『エコフェミニズム』(ekofeminisme)のパフォーマティブな枠組みと実践のなかに、アラフマイアニの作品を位置付けようとしている。その際、2006年にジョグジャカルタで、2010年にチベットでアラフマイアニが行った同様のプロジェクトに焦点を当てている4。ユリエンスは「エコフェミニズム」と密接に結びついたウンジュク・ラサの概念を用いて、アラフマイアニのパフォーマティブで政治的な側面を強調し、それらをインドネシアにおけるより広範なエコフェミストの活動と結びつけている。彼は、一般的な用法では「抗議」(protest)や「デモ」(demonstration)と大雑把に訳される「ウンジュク・ラサ」の意味を拡大し、その実践に内在する多感覚的な関わりと創造性を捉える。ウンジュク・ラサとは、アクターの感情、知識、自己認識を形成する感覚的な政治を創造的かつ批判的に探求し、表現することだと、ユリエンスは言う。ユリエンスは、「この概念の解釈と実践のローカルな屈折を表すため」にこのウンジュク・ラサというインドネシア語の表記と翻訳を使うことにした5。ユリエンスは、中部ジャワのクンドゥン山地における生態系と人々の暮らしを脅かす国家の採掘プロジェクトに対する女性・農民主導の活動や抵抗と、アラフマイアニによるアーティスト兼活動家としての実践とが(間接的ではあるが)相互に結びつく様子を具体的に論じている6。本稿は、環境と環境主義に関する土着の知識と歴史を普及させ、実践するうえでの宗教と宗教団体の役割を考察することで、ユリエンスの分析、ならびにアラフマイアニによる共同でコミュニティ・ベースの作品における「エコフェミニズム」の枠組みを補完するものである。

研究者たちは、ポストコロニアル研究やフェミニズム研究における「修復」や「修復的フェミニズム」の枠組みを、ヨーロッパやアメリカの文脈のなかの人種差別的奴隷制の問題を超えて、拡張してきた7。ジョシュア・チェンバース=レトソンは、フェミニスト研究者の著作を引用しながら、さまざまなフェミニスト、クィア、ポストコロニアルのプロジェクトは常に、本質的に修復的であったと指摘する8。チェンバース=レトソンは続けて、修復とは「少なくとも未来と愛の可能性に向かうことができるような総括をするため」に過去と折り合いをつけ、過去の損害や暴力に対処する方法である、と主張した9。植民地主義、脱植民地化、グローバル資本主義の影響を受けている私たちの過去と現在の損害との関係のなかで愛の可能性を求めるということは、アラフマイアニの作品と活動に通底する決意のようだ。そのことはジャワとチベットにおける旗のプロジェクトと彼女の共同作品から見受けられる10

1961年バンドン生まれのアラフマイアニは、1970年代後半から80年代における若手アーティスト世代を代表する存在である。かれらの作品は、新秩序体制の権威主義的で抑圧的な支配が強まるなかで、これに対抗する政治意識・活動をもたらす新しいアート実践の必要性を受けて形成された。この世代のアーティストたちは、ニューメディアアートやパフォーマンス作品を通じて、インドネシアにおける男性中心主義的で、政治的に中立で無関心を装うモダニズム的な実践の限界に働きかけた。こうして、パフォーマンスとインスタレーションはアラフマイアニの政治的・環境的活動を進める媒体となった。それを通じて彼女は修復の戦略としての協働の重要性を徐々に明確にしていく。2006年以降のアラフマイアニの作品は、世界的なイスラームのイメージ形成に積極的に貢献しようするムスリムや女性たちの経験・現実を提示しようとしてきた。アラフマイアニが示唆するように、彼女の共同制作の方法はアート制作の実践を開放する。それは「参加型で活動的であり、(それゆえに)それを見る者、参加する者みなをより開かれた、民主的、平等で寛容な社会の土台の構築に巻き込む」のである11

旗のプロジェクトと環境プロジェクト

『旗のプロジェクト』は2006年、ジョグジャカルタ・バントゥルにあるプサントレン・アムマルタにおけるアーティストとサントリたちとアラフマイアニとの共同製作から始められた。その地域が、ムラピ山の噴火による火山性地震で壊滅的な影響を受けた後のことである。このプロジェクトはもともと、社会的、政治的、宗教的な領域のなかで周縁化された女性たちへの応答として始まった12。それはアラフマイアニの主要テーマの一つであり続けてきた。プサントレンや僧院のような男性優位的な空間では、ジェンダーがどのように経験されるかに、顕著な違いがある。アラフマイアニは、プサントレンでサントリたちからの尊敬を集めていたが、コミュニティとの関わり方において文化的な制約を経験した。他方で、チベットの僧侶たちの間では、仏教徒の信仰体系において生命がさまざまな姿形に生まれ変わることから、ジェンダーが大きな要素にならないことを学んだ。とりわけ家庭空間での分業はあるが、チベットのコミュニティ・プロジェクトの多くは、あらゆる性別の僧侶や村人を巻き込むかたちで行われた。しかし、仏教において(特に、仏典解釈の初期において)他の主要宗教と同様に、女性の実践者はしばしば男性の権威者よりも目立たない地位を占めている。主要な組織宗教における女性の役割の減少に対応して、アラフマイアニのアーティストとしての手法は、女性の超自然への媒体としての立場を体現している。それは、東南アジアの特定の社会において維持されている機能である13。アラフマイアニはアーティストとしての自らの役割を、異界との関係ではないにせよ媒体の一つとして、自らのパフォーマンスを癒しの儀式の一種として考えている14

写真 4. 『旗のプロジェクト』のドキュメンタリー映像より、パフォーマンス『交点』(Crossing Point)。2011年。ジョグジャカルタ、ムラピ山の活動家とパングクレジョ・コミュニティとともに。映像はYou Tubeより:https://www.youtube.com/watch?v=87qvoOIkPDY&t=13s、2021年1月13日。

写真5. 『旗のプロジェクト』のドキュメンタリー映像より、パフォーマンス『交点』(Crossing Point)。2011年。ジョグジャカルタ、ムラピ山の活動家とパングクレジョ・コミュニティとともに。映像はYou Tubeより:https://www.youtube.com/watch?v=87qvoOIkPDY&t=13s、2021年1月13日。

アラフマイアニと共同製作者が世界各地で撮影した『旗のプロジェクト』のビデオ・ドキュメンタリーは、いくつかの無料動画サイトで見ることができる。これにより、彼女の作品は、美術館や少数の機関が用意する舞台の外に広がっている15。一例として、『交点』(Crossing Point、2011年)は、ジャワの最も活発な火山の一つであるムラピ山の風景から始まり、2010年の破滅的な噴火による崩壊のシーンが続く。この『旗のプロジェクト』は、シリーズの一部として、アラフマイアニが旗に書かれたジャウィ文字を通じて、コミュニティが直面する問題に関するメッセージやビジョンを伝える16。荒廃した風景を吹き抜ける風の音だけを伴奏に、突き刺すような、メロディアスなテンバン(ジャワとスンダの伝統的な古典声楽曲)が典型的なジャワのスタイルで流れ、このシーンのもの悲しい雰囲気がもたらされる。メロディアスなテンバンは、文化的な記号(signifier)としての役割を果たすかもしれないが、それは現地の癒しの仕方に関するアラフマイアニの記憶や経験にも結びついている17。癒しの思想と実践はアラフマイアニの作品にも現れている。彼女は、自分のパフォーマンスを、個人、コミュニティ、自然のつながりを育む癒しの儀礼として捉えている18。映像は『旗のプロジェクト』のパフォーマンスに移る。アラフマイアニと共同製作者たちは焼かれ、倒壊した木々の前に立ち、色とりどりの旗を振っている。旗に書かれたジャウィ文字は、(たとえばアラビア語で「死」を意味するماوت=mautによって)物質世界の非永続性を示したり、(ジャワ語で「家」を意味するاوماه=omahや、バリ語・ジャワ語で愛を意味するترسنا=tresna、あるいはサンスクリット語で「知恵・知識」を意味するجنانا=jnanaによって)帰属意識、愛、民俗知の重要性を訴えたりしている。ジャワ語でアラブ・ペゴン/グンドゥルとも呼ばれるジャウィ文字は、アラビア文字の配列を置き換えた文字であり、ローカル言語の知識を記述し、流通させるために東南アジア・イスラーム世界の多くの地域で用いられていたが、植民地時代の教育システムの導入に伴い、大半がラテン文字に置き換えられ、その後近代化の片隅に追いやられた。カラフルな旗にジャウィ文字を縫い付けることで、インドネシアの多くのムスリムがアラビア文字について抱く緊張関係を緩和し、文字を宗教的表現の領域の外に位置づける役割を果たしている。同時に、『旗のプロジェクト』や他の多くのインスタレーション、パフォーマンスにおけるジャウィ文字の復元は、インド-マレー諸島特有のイスラーム実践やムスリムとしての経験に向けた注意を喚起する。さらに、ジャウィ文字を使ってコミュニティの懸念、希望、民俗知、ビジョンを表現することは、グローバルな(西洋の)メディアで流布するイスラームの有害なイメージに対する修復的なプロジェクトに役立ち、他世界との異文化間の対話を拡大するのである19

アラフマイアニは当初、ボランティア団体と協力して被災者を支援し、プサントレンを含む被災地の復興に取り組んでいた。その過程で、彼女はプサントレン・アムマルタの指導者キアイ・ジャウィス・マスルリに出会い20、環境問題や自然災害について語り合った。プサントレン・アムマルタはおそらく、インドネシアを代表するエコ・プサントレンの一つである。プサントレンにおいて環境問題が制度的に扱われていることは驚くことではない。プサントレンには、少なくともオランダ植民地時代からスマトラやジャワ各地の農業コミュニティを統率してきた長い歴史がある21。サントリたちに環境問題について教鞭を取るだけでなく、アラフマイアニは自然災害と気候変動の影響を緩和しながら地上の「地獄」を避けるために、植林や有機農業など、いくつかの環境問題への取り組みを提案していった22。キアイ・ジャウィスは植林や有機農業の重要性には頷いていたが、政府機関からの資金や支援が不足していたため、プサントレンではより収益性の高いプログラムが求められた。サントリや地元住民と交渉するなかで、クルアーンの章句から着想を得て、プサントレンはニャンプル(Calophylum inophyllum)という地元の果物を使った再生可能エネルギー生産プロジェクトを開発し、地元農家と共同でバイオ燃料を生産することを決定した23。現在、プサントレン・アムマルタは、バティックの天然塗料やオーガニックコスメといった環境にやさしい製品を開発することで、エコロジー・プログラムを持続させている24。さらに、アラフマイアニによると、プサントレン・アムマルタは最近、この地域で植林プログラムへの着手を検討している。アラフマイアニがプサントレン・アムマルタで環境問題に重点を置く一方で、プサントレン・ブダヤ・カリオパクのサントリとのコラボレーションでは宗教の多様性と多元性の価値を伝えると同時に環境問題についての議論を深めることを目指す文化的活動に力を注いでいる。アラフマイアニの『旗のプロジェクト』における多くの共同パフォーマンスの中核を成しているのは、まさにこうした草の根レベルの文化・環境活動であることを強調したい。多宗教間での環境主義を考える、草の根的でコミュニティ・ベースの活動は、チベットにおける彼女のパフォーマンスの基礎にもなっている。

写真6. 『過去の陰』(Shadows of the Past)、2018年。チベットにおけるアラフマイアニによるパフォーマンス。『旗のプロジェクト』におけるパフォーマンスと同様に、旗が使われている。写真はアラフマイアニ提供。

写真 7. ラブ村の共同農地。チベット、2014年。写真はアラフマイアニ提供。

写真8. ラブ村におけるラマによる植林の儀式。チベット。2014年。写真はフェリ・ラティフ撮影、アラフマイアニ提供。

アラフマイアニはしばしば冗談交じりに、チベットでの経験を「クササル」(kesasar)だと表現する。クササルとは道に迷ったり、予定された道から外れたりすることを意味する25。2010年に初めてチベットを訪れたのは、上海現代美術館(MoCA Shanghai)からの招待を受けてそこで『旗のプロジェクト』を継続するためであった。キュレーターのジム・スパンカットとビルヤナ・チリッチに対して、アラフマイアニは中国国境の地域コミュニティとの共同制作を提案し、疎外された人々や自然災害に見舞われた人々との取り組みを模索した。アラフマイアニのアシスタントであるリー・ムーは、地震の被害を受けたチベットへの訪問を提案した。アラフマイアニは、ジョグジャカルタで自然災害の影響を受けたコミュニティとの協働の経験を活かし、カムにある甚大な影響を受けた地域を訪問した。そこでカデン・リンポチェと ゲシェー・ソナム・ロブサン率いるラブ僧院のゲルグ派(黄帽派)の僧侶たちと良好な関係を築いた。ゲルグ派はチベット仏教における最大宗派であり、ダライ・ラマはそのなかで最も影響力を持つ人物である。僧侶や村民との環境問題に関する対話を通じて、またアジアの主要河川の水源としてのチベット高原の重要性を伝えられたことから、アラフマイアニは廃棄物管理、森林再生、生活用水とエネルギー源としての河川水管理、有機農業、放牧の活性化、水力発電、太陽光パネルの整備といった環境プログラムを開発した26。最初の5年で27、このプログラムは16の村で僧と村民の支持を得て、2015年には、そのプログラムの多くが政府の環境政策に合致するとして、中国政府から正式な支援を受けた28。アラフマイアニによるチベットの僧侶との協働は、『旗のプロジェクト』に見られるような持続可能な環境プログラムと異文化交流をもたらしただけでなく、イスラーム化以前の信仰・文化体系やインドネシア、ヌサンタラ29、チベット、インドのつながりに対する彼女の研究関心を刺激した。この関心は『旗のプロジェクト』の続編である『ヌサンタラの旗のプロジェクト』(Proyek Bendara Nusantara、2010年から)や、『旗のプロジェクト』におけるパフォーマティブな要素を再現した『過去の影』(Shadows of the Past、写真6)という一連のパフォーマンスなど、アラフマイアニの他の作品にも現れている。また、アラフマイアニがカム地方におけるゲルグ派の僧侶や16の村のコミュニティと協働することで、生態系の修復や食料・資源の主権性を獲得し、国家の抑圧的で新自由主義的な政策に対する様々なレベルの細やかな抵抗を浮かび上がらせたことを、私は主張したい30

宗教をまたいだ環境主義を通じて、環境緊急性をとらえかえす

プサントレンや僧院との協力について、アラフマイアニが環境緊急性(environmental urgencies)を複数の宗教的枠組みに翻訳し、再構築する方法に注目したい。アラフマイアニによるプサントレンに対する提案や、ムスリムによる環境実践についての話題は、しばしばクルアーンに書かれた言葉や土着のイスラーム的世界観に言及している。イスラーム的な環境神学の文脈に当てはめると、自然災害を緩和し、地上の「地獄」を回避するための環境対策をプサントレン・アムマルタに提案するとき、アラフマイアニの切迫感は、クルアーンのなかでも環境正義の問題に関連する章句に見られる終末論的側面の重要性を反映している31。アンナ・ゲイドは、環境主義へのイスラーム的な取り組みを作り出す上で、終末論についてのクルアーンの章句が重要であり続けることを、論じている32。キアイ・ジャウィスがテリハボクの木の実をバイオ燃料として利用したのは、「緑の木から火をつけよ」という教えと、キアイ・ジャウィスが幼少期に聞いた、現地の木の実がランプの油に使われていたという話からヒントを得たものである33。この話はまた、クルアーンと在来知の交錯が、現地の環境保護活動に携わるムスリムによってどのように理論化され、実践されてきたかを示している。

Fig. 9. セラ・ジェイ僧院でのアラフマイアニ。南インド、2014年。写真はアラフマイアニ提供。

2010年にチベットで活動を始めたとき、アラフマイアニは現地での振る舞い方の理解や、資源や生き物としての自然にかんする考え方に対して、寛容な接し方を貫いた。カデン・リンポシュやその他のラブ僧院の僧侶たちに環境対策を紹介するなかで、アラフマイアニはすぐに、ムスリムの環境意識において顕著な終末論的枠組みは、輪廻転生が広く浸透し、重要な信仰となっている仏教〔が主流の〕チベットでは響かないことを知った。さらに、外部からもたらされた考え方である、神との垂直的な関係および他の人間との水平的な関係を重視するイスラームの信仰と教えは、修行としての生活と一般の生活とを分けて捉えることが多い仏教の実践に無批判に押し付けることはできなかった。こうした理由から、アラフマイアニは南インドのセラ・ジェイ僧院のダライ・ラマのもとで仏教の教えを学ぶことにした。アラフマイアニはすぐに、ラマ・アティーシャ・ディーパンカラシュリージュニャーナ(982年-1054年)の人物像を通じて、チベット仏教におけるゲルグ派の歴史と、そのインドネシアやインド・マレー諸島との歴史的つながりを学んだ。アティーシャはインドから来た仏教徒の教師、指導者であり、チベット来訪以前にはヒンドゥー・仏教国であるシュリーヴィジャヤ王国とメダン・カムラン王国統治下のスマトラ島とジャワ島で12年間を過ごした。アラフマイアニは、アティーシャの「生きとし生けるもの全てを苦しみから救う」という教えをもとに、僧院の僧侶たちに伝わるよう環境危機の緊急性を再定義した34。環境神学の考えにおける「生きとし生けるもの全て」に対する配慮は、環境主義のなかの人間中心主義に挑戦しているが、イスラームの教えにある全ての被造物と「世界に対する慈悲」を意味する「ラフマタン・リル・アラミン」(rahmatan lil alamin)とも共鳴する–––それはイスラーム世界におけるムスリムの環境主義実践においてしばしば適用される重要な概念である35

写真10. ラブ僧院の僧とbhikkhuniとアラフマイアニ。チベット、2015年。写真はアラフマイアニ提供。

アラフマイアニは活動中心でコミュニティベースの共同制作をするなかで環境問題に関心を寄せてきたが、それは、イスラームとムスリムに対する修復的な読解を(再)生産し、近代化によって押し付けられた暴力を是正することができるような異文化・異宗教間の対話に向けたムスリムとしての取り組みの延長線上にある。「エコフェミニズム」の活動と修復的フェミニズムを土台としながら、アートが「コミュニティや個人が自らの状況や問題、特に文化的、社会的、政治的、そして環境的なコンフリクトを評価し、理解することができるように促し、力を与える役割を果たさなければならない」とアラフマイアニは考えている36。アラフマイアニの作品からわかるように、他の信仰やあり方について学ぼうとする開かれた姿勢は、彼女の世界中の様々なコミュニティとの関わり合いに影響を与え、そして彼女がプサントレンや僧院のような男性支配的な空間でもより柔軟に動くことを可能にしている。『旗のプロジェクト』におけるパフォーマティブで儀式化された反復動作は複数のレベルで機能する——環境問題について意識を高めるための取り組みとして、周縁化された人々や自然災害に見舞われた人々が経験した暴力や傷害を是正するための癒しの儀式として、そして開かれた、平等な協働と交流のための場として。


出典:Anissa Rahadiningtyas, (2021), “Arahmaiani: Nomadic Reparation Projects, Environmentalism, and Global Islam,” Post: Notes on Art in a Global Context, ( https://post.moma.org/arahmaiani-nomadic-reparation-projects-environmentalism-and-global-islam/ ).

This article (Arahmaiani: Nomadic Reparation Projects, Environmentalism, and Global Islam) was initially commissioned for post (post.MoMA.org), The Museum of Modern Art’s online resource devoted to art and the history of modernism in a global context.

(翻訳:中鉢夏輝)

脚注


  1. アラフマイアニ、Whatsapp上での筆者との会話より、2021年6月。 ↩︎
  2. アラフマイアニ、『旗のプロジェクト』アーティスト・ステートメントより。ジョグジャカルタ、2010年9月1日。原文はアラフマイアニから筆者に提供。 ↩︎
  3. 例えば次を参照のこと: Amanda Rath, “Contextualizing Contemporary Art: Propositions of Critical Artistic Practice in Seni Rupa Kontemporer in Indonesia” (PhD diss., Cornell University, 2011), 285–325; and Wulan Dirgantoro, “Arahmaiani: Challenging the Status Quo,” Afterall: A Journal of Art, Context, and Enquiry 42 (Autumn/Winter, 2016): 24–35. ↩︎
  4. Edwin Jurriëns, “Gendering the Environmental Artivism: Ekofeminisme and Unjuk Rasa of Arahmaiani’s Art,” Southeast Asia of Now: Directions in Contemporary and Modern Art in Asia 4, no. 2 (October 2020): 3–38. ↩︎
  5. Ibid., 12. ↩︎
  6. See ibid., 11–14. ↩︎
  7. See Eve Kosofsky Sedgwick, “Paranoid Reading and Reparative Reading, or, You’re So Paranoid, You Probably Think This Essay Is About You,” in Touching Feeling: Affect, Pedagogy, Performativity (Durham: Duke University Press, 2003), 123–51.
    Joshua Chambers-Letson, “Reparative Feminisms, Repairing Feminism—Reparation, Postcolonial Violence, and Feminism,” Women & Performance: a journal of feminist theory 16, no. 2 (July 2006): 176–77. ↩︎
  8. Joshua Chambers-Letson, “Reparative Feminisms, Repairing Feminism—Reparation, Postcolonial Violence, and Feminism,” Women & Performance: a journal of feminist theory 16, no. 2 (July 2006): 176–77. ↩︎
  9. Ibid., 173. ↩︎
  10. アラフマイアニによる『旗のプロジェクト』における取り組みとマテリアリティの選択は、バンコクにあるバーン・クルアにおける現地ムスリムと絹織り産業コミュニティと共同製作においても特徴的である。そのプロジェクトは『傷を縫う』(Stitching the Wound )の題名のもと行われ、バンコクのジム・トンプソン・アートハウスで展示された。このプロジェクトでは、アラフマイアニはジャウィ文字を使用・披露するほか、現地女性たちと創造的な対話を生み出し、展示開始の際のパフォーマンスにおいて披露した。. ↩︎
  11. アラフマイアニ、アーティスト・ステートメントより。カユ・ルースィー・フォンテーニュ・バリでの『旗のプロジェクト』説明資料より引用。2019年4月27日-5月31日。 ↩︎
  12. Arahmaiani and Siobhan Campbell, “Balancing Feminine and Masculine Energy,” Southeast of Now: Directions in Contemporary and Modern Art in Asia 3, no. 1 (March 2019): 206. ↩︎
  13. See Barbara Watson Andaya, The Flaming Womb: Repositioning Women in Early Modern Southeast Asia (Honolulu: University of Hawai’i Press, 2006) ↩︎
  14. アラフマイアニ、筆者との会話より。2018年3月。 ↩︎
  15. アラフマイアニの『旗のプロジェクト』における多くの作品にまつわる筆者の経験や分析は、これらのビデオや写真によるドキュメンタリーのほか、アラフマイアニの発言をもとにしている。筆者はこれをインフォーマル・インタビューや2018年以降アラフマイアニが提供してくれた現物のアーカイブ資料などから収集した。 ↩︎
  16. アラフマイアニは『旗のプロジェクト』のいくつかの作品においてジャウィ文字を使用しているが、ジャウィ文字のみを使用したのは2010年のことだった。例えば、2009年にシンガポールのエスプラネードで行われたアラフマイアニによるインスタレーション『I LOVE YOU』と『旗のプロジェクト』のパフォーマンスでは、アラフマイアニが持っていた旗の一つにジャウィ文字が書かれていたが、他の旗にはラテン語や中国語など様々な文字の言葉が書かれていた。 ↩︎
  17. アラフマイアニ、筆者との会話より。2021年5月。アラフマイアニは、バリで癒しの儀式を受けたときの話をしてくれたが、儀式のなかでテンバンの音を聞いていたことを覚えているという。 ↩︎
  18. アラフマイアニ、筆者との会話より。2018年3月。 ↩︎
  19. Ibid. ↩︎
  20. アラフマイアニ、Zoom上での筆者との会話より。2021年5月。キアイはイスラーム諸学を修めた学者や教師に対する敬称である。 ↩︎
  21. Anna M. Gade, Muslim Environmentalisms: Religious and Social Foundations (New York: Columbia University Press, 2019), 66. ↩︎
  22. アラフマイアニ、Zoom上での筆者との会話より。2021年5月。 ↩︎
  23. Ibid. See also Kristina Großmann and Arahmaiani Feisal, “Islam-inspired Renewable Energy,” Inside Indonesia 133 (July–September 2018): 2–3. プサントレン・アムマルタでの取り組みがあったものの、グロスマンとアラフマイアニは2018年にイニシアチブが停止したことを知った。(環境問題との闘いに対する地方・中央政府の真剣さが欠如していたことが主な原因であるが)バイオ燃料の使用は、地方政府の支持を集めることができず、政府による化石燃料への補助金を止めるほどのものにならなかったためである。 ↩︎
  24. アラフマイアニ、Zoom上での筆者との会話より。2021年5月。 ↩︎
  25. アラフマイアニ、Jaya Supranaのインタビューより。2021年1月19日に公開: https://www.youtube.com/watch?v=hmGMVwQAwUw. ↩︎
  26. Arahmaiani and Campbell, “Balancing Feminine and Masculine Energy,” 211–12. 「アジアの給水塔」として知られるチベット高原は、アジアを縦断する主要な河川の水源地であり、南アジア、東アジア、東南アジアの200万人以上に水を供給している。 ↩︎
  27. 地域社会を巻き込んだアラフマイアニの環境活動の多くは、具体的な完成時期が決まっていないようだ。COVID-19パンデミックが適切に処理され、渡航可能になった暁には、アラフマイアニはチベットに戻るつもりなので、彼女のチベットでの活動は継続中といえる。彼女はまた、過去に共に活動したプサントレンや他のコミュニティと連絡を取り続けている。 ↩︎
  28. Arahmaiani and Campbell, “Balancing Feminine and Masculine Energy,” 211. ↩︎
  29. 歴史的に、ヌサンタラという用語は、ジャワ島に存在した最後のヒンドゥー教・仏教国であるマジャパヒト王国の勢力下にあった地理的範囲を指す。この地域には、現代のインドネシア群島、マレーシア、シンガポール、ブルネイ、フィリピン南部など、海域東南アジアの多くの地域が含まれる。この用語自体は、今日のインドネシアにおいてインドネシア全島を指し、国民的・文化的アイデンティティとして用いられている。 ↩︎
  30. アラフマイアニ、Zoom上での筆者との会話にて。2021年5月。アラフマイアニが筆者に明かしたところによると、チベットのコミュニティは中国本土から輸入された(不健康な)食料品に依存しているようだった。彼女はチベットへの自分の活動を、政治的なものに当てはめないよう慎重に行っていたが、チベットの住民を支配する手段として食品輸入があったことを捉えることは、避けられないことだった。したがって、(より健康的な)食料の地産地消と水管理を通じて資源上の主権を獲得する能力は、小さな抵抗のあり方に資するものと言えるだろう。 ↩︎
  31. Gade, Muslim Environmentalisms, 110–13. ↩︎
  32. Ibid., 3. 本書(Muslim Environmentalisms)を通じてゲイドは、ムスリム環境主義とイスラームを理解するためには、クルアーンの章句に顕著な終末論的特徴を捉えて、強調することの重要性を主張している。本書の冒頭で彼女は次のように論じる。「終末論( ‘last things’)についての基本的な教えは、7世紀から変わらず今日でも倫理的に重視されるものであるようだ。そのため、(私たちが住む)現象界に対するイスラーム的な取り組み、いわゆる環境主義を、地球の崩壊が眼前に迫るなかで他種と混ざり合いながら生きる、責任ある人間human)存在という概念に正面から対応するものとして一般化することは妥当である」と。強調は原文のまま。 ↩︎
  33. Großmann and Feisal, “Islam-inspired Renewable Energy,” 2. ↩︎
  34. アラフマイアニ、Zoom上での筆者との会話より。2021年5月。およびJaya Supranaによるアラフマイアニへのインタビューより。アラフマイアニによる、協働するコミュニティを理解することで環境にかんする計画を進めるという手法と実践は、彼女の作品を、NGO主体の異宗教間プログラムとも一線を画したものにしている。 ↩︎
  35. Gade, Muslim Environmentalism, 101–2. ↩︎
  36. Arahmaiani, 『旗のプロジェクト』アーティスト・ステートメントより。ジョグジャカルタ、2010年9月1日。 ↩︎

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