不公正な移行:占領下の西サハラにおけるエネルギー、植民地主義、採掘主義
ジョアンナ・アラン、ハムザ・ラカハル、マフムード・ルマアディル
トランスナショナル研究所、2021年11月10日
原文リンク:https://www.tni.org/en/article/an-unjust-transition
はじめに
人間活動によって引き起こされた多面的なエコロジー危機は、現在北アフリカが直面しているその他の政治的・社会的・経済的な課題と結びつき、それらを悪化させている。[1] 西サハラにおいてこれらの課題や危機の原因を作っているのは、継続的な植民地状態だ。このレポートで行おうと思っているのは、西サハラにおける「公正な移行」――すなわち、「尊厳があり、生産的で、生態系からみて持続可能な生活を提供する繁栄した経済、ならびに民主的な統治と生態系の回復性」への移行――についての議論に寄与することである。[2] 著者たちは、目下のところモロッコに占領されている西サハラの地域において、いかに採掘主義が作動しているのかを明らかにすることで、この議論に貢献する。分析の大半は、再生エネルギーの開発に焦点を合わせる。なぜならモロッコは、いわゆる「グリーン・エネルギーへの移行」への貢献によって国際的な舞台でひろく称賛を集めているからだ。[3] ここで語られるストーリーは、西サハラの先住民であるサハラーウィーの住民たちの声に光を当てることを目指しており、一般的な語りとは一致しない。というのもまさしく、再生エネルギーの開発こそがサハラーウィーの人々の自己決定権を骨抜きにし、先住民サハラーウィーとモロッコ人のあいだの不平等(知覚上のものであれ実際的なものであれ)を増長させてしまうからだ。その手の開発は、公正な移行の土台を掘り崩してしまう。
以下では、西サハラでの紛争の短い歴史を述べた後で、まず占領下の西サハラにおける採掘主義の諸形態を特定し、当地での採掘[採取]産業に誰が参与し、誰がそこから利益を得ているのかについて見通しを与える。本レポートの最大の焦点はエネルギー開発に当たっているけれども、同時にリン採掘や漁業、そして砂産業と農業など、採掘主義のいくつかの形態にも光を当てる。著者たちの考えでは、西サハラにおける採掘主義をめぐるこの研究は、グローバルな視点でのエネルギーと植民地主義に関する学者たち・活動家たちの議論という、より広い文脈のなかに位置づけられる。またこのレポートは、なぜ占領地域での再生エネルギー開発を採掘主義の一形態として考えるべきなのかということの、一つの論拠を提供するものでもある。
第二に、著者たちはさらに進んで、占領下の西サハラで生産される(潜在的な)エネルギーがモロッコ政権の諸外国との外交に役立てられており、そのことが占領下の西サハラへのモロッコによる植民地主義的支配を長期化させているのだと論じる。
このレポートでは最後に、サハラーウィーにとっての公正な移行というものがいかなる姿をしているのか検討する。そのインスピレーションを得るために、著者たちはアルジェリアのティンドゥーフ近郊に位置するサハラーウィーの難民キャンプおよび亡命政府に目を向ける。それらがいかに公正な移行と関連し、公正な移行について何を教えてくれるのかという観点から、現地でのサハラーウィーのイニシアティブの少数の例が分析される。
西サハラ紛争についての短い歴史
スペインによる西サハラの植民地化が始まったのは1884年、ベルリン会議を経てのことだ。その会議では、ヨーロッパ諸国が自分たちだけでアフリカを分割し、西サハラはスペインの所有物となった。はじめのうち、いわゆる「スペイン領サハラ(Spanish Sahara)」におけるスペインの存在は、沿岸部での漁業、およびサハラーウィーの部族との交易に限定されていた。しかしながら、1940年にリン、石油、その他の鉱物の埋蔵が発見されたことで、スペインはその支配を政治的・社会的・経済的に拡大する大きな動機を得ることになった。[4]
1960年、「植民地と人民に独立を付与する宣言」が国連総会によって採択され、1960年代初頭に新たな脱植民地化の時代が始まった。[5] スペイン領サハラ(西サハラ)は、1963年の脱植民地化を定めた「国際連合非自治地域リスト」のなかに含まれていた。この前後の時期にサハラーウィーの独立を求める組織的な大衆運動が生まれたが、その最初の一つは〈サハラ解放のための前衛組織(Vanguard Organization for the Liberation of the Sahara)〉であり、1968年にムハンマド・スィディ・イブラーヒーム・バスィーリー(Mohamed Sidi Brahim Bassiri)によって形成された。その後、スペインの手によってバスィーリーが失踪すると[6]、若い学生や〈前衛組織〉のメンバーからなるグループが〈サギア・エル=ハムラとリオ・デ・オロの人民解放戦線(Popular Front for the Liberation of Saguia El Hamra and Río de Oro: POLISARIO)〉[以下、ポリサリオ] を1973年に設立した。同じ年のうちに、かれらはスペインに対する武装闘争を開始する。[7]
1956年の独立以来、領土拡張主義的な野心をにじませながら、モロッコ政府は「大モロッコ(Greater Morocco)」の夢を表明しつづけてきた。そこには西サハラやモーリタニア、そしてアルジェリアとマリの一部が含まれる。[8] そのため、1974年にスペインがサハラーウィーの自己決定のための住民投票を開催する計画を公表したとき、モロッコおよびモーリタニアは、自分たちが西サハラに対する領土的主権を有しているのだという主張をまたしても表明した。これら二国家による意見――スペインによる植民地化に先立ち、西サハラは大モロッコおよび大モーリタニアに帰属していた――は、国際司法裁判所(ICJ)によって聴取されたが、ICJは勧告的意見のなかでこうした主張を却下し、先住サハラーウィーの自己決定を認める国連決議第1514号(XV)を適用するように迫った。[9] しかしながらスペインは、モロッコおよびモーリタニアとのあいだの三者間協定に署名してしまった。その協定は、西サハラを二つのアフリカ国家のあいだで分割し、さらにスペインに対して、西サハラのリン埋蔵からの利益の35パーセント、および西サハラ漁業への継続的なアクセス権を与えるものだった。[10]
1975年10月、モロッコとモーリタニアは西サハラに侵攻した。[11] 何万人ものサハラーウィーたちが隣接するアルジェリアの難民キャンプに避難したが、なかにはその途上でナパーム弾によって爆殺された人々もいた。[12] 1976年、難民キャンプを拠点としたポリサリオは、亡命政府としてサハラ・アラブ民主共和国(Saharawi Arab Democratic Republic: SADR)の設立を宣言した。1991年に国連の仲介による停戦が行われるまで、ここがモロッコおよびモーリタニアに対するポリサリオの武装闘争の本拠地となった。1991年の停戦は、サハラーウィーの独立をめぐる自決投票を行うこととする約束を土台に合意がなされた。だがこの投票は一度も実施されることがなく、結果として、2020年11月(下記を参照)にいたるまで、外交プロセスは停滞しつづけている。
モーリタニアは1979年にポリサリオとの和平協定に署名することで戦争から撤退した。それとは反対に、モロッコは西サハラにおける占領勢力でありつづけている。国連総会は「モロッコが和平プロセスに参加し、西サハラ領地における占領の終了期日を定めるよう勧告」してきた。[13] ポリサリオは現在、西サハラの領土のおよそ四分の一を管理しているが、その西部にはモロッコによって建設された防御壁[砂の壁]が延びており、それは「現在機能している軍事的な障壁として世界最大のもの」と考えられている。[14]
今日、およそ18万人のサハラーウィーの難民たちが国際的な人道支援のもとアルジェリアの難民キャンプで生活している一方、モロッコは西サハラにおいて入植型植民地政策を追求しつづけている。そうした政策は、強制失踪や良心の囚人への拷問[15]から、[西サハラの]領土へのかなりの数のモロッコ人人口の入植(入植者と先住民族サハラーウィーとの正確な割合についての信頼できるデータは存在しないが、今日では前者が圧倒的に多くなっているということには合意がある)、そして文化の盗用にいたるまで、多岐にわたっている。[16]
国連の仲介によるポリサリオとモロッコの停戦は1991年に始まり29年間継続したが、暴力事件を経て2020年11月13日に終了した。サハラーウィーの一般市民たちがガルガラート村(Guerguerat)の軍事壁にある通行路を封鎖するということがあった。ガルガラートは、モーリタニアとの国境に接した非武装緩衝地帯に位置する村だ。道路封鎖に参加したサハラーウィーであるアブドゥルハイイ・ラアラーシー(Abdelhay Larachi)はこう説明する。「私たちの目的は、ガルガラートでの違法通行を遮断することでした。その門を通って、モロッコは私たちから略奪した天然資源をモーリタニアやその他の国々に運んでいるからです」。[17] モロッコ側はその場ですぐに抗議者たちに発砲した。そしてポリサリオも停戦の決裂を宣言し、撃ち返した。
新たな戦争のきっかけが、サハラーウィーによるガルガラートのいわゆる「略奪回廊」(そこを通って占領された領土での生産物がヌワーズィーブー(Nouadhibou)の港へと運ばれそこから世界中に輸出される)の封鎖であったことは偶然ではない。採掘主義は、西サハラにおける紛争と植民地主義の核心に位置しているのだ。
占領下西サハラにおける採掘主義
採掘主義(extractivism)とは、資本主義による蓄積の一形態であり、通常はグローバルノースに位置する地域が、主に輸出を目的として、別の地域の天然資源を採掘[採取/抽出]することを指す。[18] 採掘主義という言葉は、征服と植民地化の時代以来、ヨーロッパがアメリカスやアフリカ、アジアに対してとってきた関係を言い表すために使用されてきた。[19] いま現在、北アフリカにおいては、採掘主義は新植民地主義的な装いのもとで継続している。[20] 採取される資源は、石油、ガス、希少金属、漁業と農業の産品などさまざまだ。[21] 観光と文化盗用もまた、今日では新植民地主義的な採取の一形態として広く認識されている。なぜなら、グローバルサウスや先住民のもつ資源は、知的資源や芸術的資源にいたるまで、グローバルノースの人々の利益のために搾取されているからだ。[22]
近年ますます明白になってきたのは、再生可能エネルギーのプロジェクトもまた、採掘主義を永続化ないし強化する結果になりうるということだ。たとえば、失敗に終わったデザーテック産業イニシアティブ(Desertec Industrial Initiative)は、2050年までにヨーロッパで必要なエネルギーの約20パーセントを中東および北アフリカに建設された太陽・風力発電施設によって満たすことを目指していたが、現地の活動家たちからは、新植民地主義的な資本主義の事業であると理解されていた。デザーテックが引き起こした懸念は、ただでさえ希少な水資源が略奪されるかもしれないこと、現地のエネルギー需要も満たされないままエネルギーがヨーロッパに輸出されること、そしてそこでサハラ砂漠を記述する言語が植民地主義の言語だということだった。そうした産業イニシアティブは、財政的な理由からたまたま崩壊した。[23] 同様にメキシコでの先住民コミュニティの調査にもとづいて、アレクサンダー・ダンラップ(Alexander Dunlap)は工業的な規模の再生可能エネルギー開発を「化石燃料+」と言い表している。なぜならそうした大規模な企業主導の開発は、化石燃料産業の有していた搾取的・資本主義的・植民地主義的な秩序を、再起動し、拡張することになるからだ。[24] 占領下の西サハラにおける再生可能エネルギー開発が採掘主義的であると理解されるのは、それが資本主義的な[富の]蓄積様式、植民地主義および軍事的占領を継続しているからであり、現地コミュニティの人権を向上させ認知させるのではない仕方で資源を用いているからだ。
セメント工場の動力となっている私企業所有の風力発電所をのぞけば、占領下西サハラにおける風力エネルギー開発はすべて、ナレヴァ社(Nareva)と呼ばれる風力エネルギー企業のポートフォリオに含まれている。モロッコの王族が所有する持株企業アル=マダー社(Al Mada)の子会社だ。[25] ナレヴァ社は、占領下西サハラで展開したすべての風力発電所について、ドイツの多国籍エネルギー企業であるジーメンス社(そして後にはスペインのシーメンスガメサ社)と協働関係にあった。200メガワット(MW)のアフティーサート(Aftissat)発電所は工業利用者のための電気を生産しているが、その利用者にはモロッコの国営企業であるOCPグループ(公式にはOffice Chérifien des Phosphatesとして知られる)も含まれている。[26] 50MWのフンム・ワード(Foum el Oued)発電所は、OCP社が所有するブークラーア(Bou Craa)村のリン鉱山の操業に必要なエネルギーの95パーセントを提供している。[27] さらにいくつかの風力発電所の建設が占領下西サハラに予定されているが、その合計の容量は1000MW以上だ。占領下西サハラにすでに存在している二つの太陽光発電所を拡大し、第三の太陽光発電所を建設する計画もある。占領下にあるこの国の地熱ポテンシャル調査もまた、現在進められている。[28]
この記事では再生可能エネルギーの開発に焦点を当てるけれども、そうした開発を占領下の西サハラにおけるより広範な採掘主義の文脈のなかで位置づけることもまた重要だ。ブークラーア鉱山で採掘されたリンは世界中に輸出され、農業肥料として使用される。[29] 工業的規模の温室ではヨーロッパ連合(EU)市場向けの果物や野菜が栽培されているが、それによって貴重な地下水の枯渇が起こっている。[30] 西サハラの豊富な漁業資源もまた、幾つかの国や地域、とりわけEUとロシアの底引き船によって搾取されており、そこでは持続不可能な手法が用いられている。[31] ローカルなレベルでは、モロッコのマフザン(エリートの支配層)のなかの著名な人物に漁業権が認可された例もいくつか見られる。[32]
そうした活動の合法性を問題視する法学者も少なくない。というのも、被占領テリトリーの資源を、そのテリトリーの人々の同意なく開発=搾取することは法律上許されていないからだ。[33] この観点について、いくつかの国際司法は、SADR政府およびサハラーウィーに連帯する団体によって提起されてきた主張を審理してきた。[34]
強化される占領:モロッコ政府はいかにエネルギーを外交に役立てているのか
エネルギー開発は、(少なくとも部分的には)西サハラから供給されるエネルギーへの依存をモロッコの外部に作り出すという目的に利用されている。このことが他の国々にとって占領を支持する外交的インセンティブを生み出していることは疑いの余地がない。西サハラは、その首都ラユーン[エル=アイウン](El Aaiun)における連系を通じて、モロッコの電気系統に接続されている。200キロボルト(kV)の系統連系が、ラユーンと西サハラ南部の都市ダーフラ(Dakhla)とのあいだで現在セットアップされている。[35] モロッコが望んでいるのは、ダーフラを経由してその電気系統をモーリタニアの電気系統と接続することであり、最終目標としては西アフリカ市場にエネルギーを輸出することだ。[36] 同様に、2016年にマラケシュで開催されたCOP22の気候会議において、モロッコは最終的に、ヨーロッパ域内市場へのエネルギー輸出を打ち立てるための作業計画に署名した。[37] こうした計画や協定は、サハラーウィーの人々の自己決定にとっての深刻な障害がさらに付け加わることを意味している。こうした系統連系が確立されてしまえば、モロッコはヨーロッパと西アフリカの一部に、西サハラで生産されたエネルギーに対する依存関係を作り出すことができるだろうからだ。
モロッコ政府は同時に、エネルギーの約束を用いてみずからの「ソフトパワー」を高めることで、諸外国が特定の政策を遂行し、アフリカ大陸に対して特定の行動を取るよう、説得または強制しようとしている。[38] たとえば、ナイジェリア=モロッコ間ガス・パイプライン(NMGP)という国内外にまたがるプロジェクトが計画されているが、そこではナイジェリアのガスをアフリカ西部および北部に供給することが目指されており、潜在的にはヨーロッパへの供給も視野に入っている。NMGPは巨大なエネルギー・プロジェクトであり、その政治的な意味も同様に巨大なものだ。ナイジェリア政府は伝統的にポリサリオの強力な支援者だったが、このプロジェクトのために西サハラ紛争への外交スタンスを軟化させてきた。[39] これをある種のエネルギー外交と捉えることもできるだろう。すなわちモロッコは、計画的なエネルギー・システム開発を通じて、強力なアクターを占領政策に引き込み、植民地化プロジェクトのための同盟軍を形成しているのだ。
占領下西サハラにおけるモロッコによる再生エネルギー開発を、グリーンウォッシングというレンズを通して読むことも可能だ。「グリーンウォッシュ」とは、製品や政策や行為について、それが環境にやさしいといって虚偽の売り込みをすることを指す。モロッコは現在、「アフリカにおける再生可能エネルギー開発の、アフリカ自身のリーダー」として自らを売り出している。[40] そうすることによって、西サハラの占領をグリーンウォッシュしているのだ。莫大な軍事配備、国全体を横切る分離壁、リンの採掘、そして工業的温室に必要な地下水の汲上げによる環境負荷は、モロッコ政府によって綿密に演出された「グリーン」なイメージの背後に隠されている。
占領下西サハラにおけるエネルギー開発は同時に、モロッコの偽りのエネルギー「主権」を下支えする(それが偽りであるのは、モロッコが法的に西サハラの主権勢力ではないからだ)。そうした開発は、西サハラの資源を収奪することを通じて、モロッコを同じ地域の諸外国から「エネルギー的に自立」させる。2021年秋の時点で、モロッコはNMGPプロジェクトの加速を目指していると言われているが、それはモロッコ王国との外交関係の断絶にともなってアルジェリアが同国との天然ガス協力関係を拒否したからであり、その外交断絶は少なからぬ部分が西サハラ紛争に起因している。[41] 実際のところ、モロッコ自身の石油や天然ガスの産出量はわずかなものでしかないという状況にあって、その再生可能エネルギー計画は、外国からのエネルギー輸入への依存を終わらせることを目的に設計されている。〈西サハラ資源ウォッチ(WRSW)〉の報告によれば、「占領下の西サハラで風力によって生産されるエネルギーは、2030年までに、モロッコのトータルの風力発電容量の47.20パーセントを占める可能性がある。同じ年までに同地域で発電される太陽光電力は、モロッコのトータルの太陽光発電容量の9.70~32.64パーセントを占めると考えられ、その幅のなかでは上の極に近づく可能性が高い」。[42] すなわちモロッコは、植民地として西サハラから資源を搾取することによって、直面しているエネルギー供給問題を緩和しようとしているのだ。
強化される抑圧:サハラーウィーから見た占領下西サハラのエネルギー・システム
筆者たちは、参与観察(2015年)、二つのフォーカス・グループ[・インタビュー](2019年)、そして20回の深層・半構造化インタビュー(2019~2020年)を通じて、占領下西サハラにおけるエネルギー・システムをサハラーウィーたちがどのように知覚しているのかデータ収集を行った。ここでは名前を変えて記している調査の参加者たちは、占領下のラユーンないしブジュドゥール(Boujdour)に暮らしているサハラーウィーで、みずからを非アクティヴィスト、ないし度合いの低いアクティヴィスト(独立、環境保護、人権といった問題に関する)として認識している人々だ。[43] 「エネルギー・システム」という言葉で私たちが示しているのは、エネルギーの開発、インフラ、送電、利用、イメージ体系(すなわち、エネルギーの理解の仕方、ないし任意のコミュニティでエネルギーに付与されている意味合い)だ。この言葉は化石燃料発電システムと再生可能発電システムの双方をカバーしている。
調査の参加者は電力の供給停止を「しばしば起こる」と言いあらわし、なぜそうなるのかについていくつかの説明を与えた。ダーディー(Dadi)はこう語った、「[停電が]起こるのは政治的な理由からです。たとえば、深夜のデモのために」。[44] 同様に、ハルターン(Hartan) はこう説明した、「サハラーウィーの政治的抑留者が家に帰るようなときには、モロッコの占領当局は意図的に[電力を]切ります。そうしたイベントを締め上げるためです。[……]私は個人的にメディア活動家たちの苦境を目にする機会がありましたが、それは国連大使クリストファー・ロスによる占領下のラユーン訪問に合わせて行われた民衆デモのさなかに居合わせたときのことでした。[……]かれらのカメラのバッテリーが落ち、そのせいで侵害行為を撮影できなくなっていることに私は気が付きました[……]」。[45] マフムード(Mahmoud)はこう報告した、「[電力供給者たちは]グリッドの問題で[停電が]起こるというけれど、私たちはかれらがしばしばわざと電気を切ることを知っています。かれらが秘密のものを街に持ち込もうとするときや、若い人々が街頭で抗議をするときなどに」。[46] マフムードが言及した「秘密のもの」に関して、ファーディル(Fadel)はこのように伝えた。「比較的多数の兵士や兵器を空港から砂漠へ、防御壁[砂の壁]へと運びこもうとするとき、しばしばかれらは[電力を]切ります。いかに多くの兵器が、戦車が、そして兵士が入り込んでいるのか、人々や活動家たちに知られたくないのです」。[47]
ファーディルが言及している「かれら」とは、誰のことなのだろう? 電力供給者とモロッコ政府の両方なのだろうか? それとも後者だけなのだろうか? こうした問いを発さなければならないということ自体が、調査の参加者がしばしば行う二者――電力供給者とモロッコ政府――の混同を反映している。こうした混同は(新)植民地主義という文脈ではありふれたものであり、市民が国家をどのようなものとして捉えているのかということについて、さまざまなことを教えてくれる。イダリーナ・バプティスタ(Idalina Baptista)が論じているように、サービスの供給者が国家と密接に結びついていると認識されているとき、供給者-消費者の関係は、国家-社会の関係の近似として理解されるようになる。[48] 同じように、シャーロット・レマンスキ(Charlotte Lemanski)は、人々の公的なインフラへのアクセスがかれらの市民としてのアイデンティティ、および国家との関係を形成しているのだと論じている。[49] 西サハラでは、調査参加者によるエネルギー・システムの経験は、かれらがモロッコ政府に対して感じていた敵対性を深めるものだった。
調査参加者たちは、民族的サハラーウィーの割合が高い地区――ラユーン市のムウター・アッラー(Maatalla)区など――ほど、停電が起こりやすい傾向にあると感じていた。同じことは水道にも当てはまると熱心に強調する参加者もいた。たとえば、31歳のアリー(Ali)は私たちにこう伝えた、「こうした断水はマアタラやその他のサハラーウィーの住む郊外では普通のことですが、そのあいだも入植者たちがシャワーを使えているということは、賭けてもいいでしょう」。[50] 彼はインフラ――この場合は水とエネルギーの両方――について、入植者たちをネイティブの人々から差異化するために植民地支配者が用いる手段であると理解していた。歴史上/いま現在の別なく、他の植民地の状況でもそうであるように、エネルギー・インフラは民族的隔離の媒介物となるのだ。[51] 停電のジェンダー化された次元もまた、考慮にいれる必要がある。サハラーウィーの社会では、子供のケアや家庭の維持の負担(ないし圧力)は女性たちや少女たちに不均衡にのしかかっているからだ。家庭内での停電の影響はしたがって、ジェンダー化されたものだ。マフムードの言葉を引けば、「遊牧民である私自身に関しては[停電の]影響はありませんし、その状況にも慣れています。しかし本当に電気が必要になることも時にはありますし、私の妻や子供たちは特にそうです」。[52]
電気グリッドにつながれたすべての調査参加者が電気の請求書を「高い」と感じていたし、たいていの場合、その出費は深刻な不安を引き起こしていた。サーリカ(Salka)は著者たちに対して、月々の収入の半分以上を電気料金に支払っていると語った。[53] 調査参加者たちはまた、とりわけラユーン東部のスラム街などでは、そもそも電気のない生活をしている家庭も複数あると報告していた。ズルーグ(Zrug)の言葉は紙幅を割いて引用するに値する。それらは、エネルギーの割高な性質と結びついた不正義の感覚、エネルギー資源をめぐる人々の主権の重要性、そして天然資源の開発に関するより広範な政治的問題について明らかにしてくれるからだ。
「いまは2019年で、あと何日か経てば、2020年になります。家に電気が来ていない人が大勢いることを、私は知っています。数多くの企業がエネルギー電力の巨大プロジェクトを立ち上げてきましたが、そうしたプロジェクトからそう遠くない場所で、ラユーンの人々は電気のない生活を送っています。(……)アル=マタール(Al Matar)の近隣で、停電と給水停止に関する抗議行動がありました。(……)風力会社をはじめとして、企業は貧しい人々をますます貧しく、富裕な人々をますます富裕にしています。グリーン・エネルギーは西サハラの外に輸出され、アフリカの別の場所か、もっと他の場所に運ばれます。
モロッコの占領勢力によって行われているという点でこのことは違法行為ですが、私はどこか別の場所の多くの人々が照明やその他の活動のために電気を使えていることに誇りを感じます。まさに私がそうであるように、かれらも電気が必要なのです。どの場所の人間でも、その利益になることには賛成ですし、かれらが貧しい人々のために灯りを生み出すためなら、私の権利を譲歩してもいいでしょう。ただ一つ条件があります。それは無料でなければならず、売り物であってはならない、といういことです」。[54]
複数の調査参加者が、エネルギー供給者は自分達に法外な料金を請求してきたと述べた。例えば、マフムードはこう言明した。「かれらはしばしば間違った[使用]量の請求書を送ってきました。私たちの家には多くの機械はありませんから、エネルギーの利用量がどれくらいかはよく分かっています」。[55] 調査参加者のあいだでの、こうした供給者への不信感は、占領下の西サハラにおけるエネルギーを誰が管理し所有しているのか、という参加者たちの認識を反映したものでもあった。エンギーヤ(Nguia)は、エネルギーの開発者が「人間性を持たない」類の「外国企業」であることを理解していた。[56] 彼女はこう述べた。「占領勢力は他国にこの地で投資をさせていますが、それはそうした国々に西サハラの主権がモロッコにあることを認知してもらう手段として、そうしているのです」。[57] ダーディーはこうコメントした。「こうした企業はモロッコによる植民地化に貢献し、その存在を永久に支えています」。[58] サーリカはこう報告した。「あらゆる利潤はモロッコの占領、および外国企業へと流れています」[59]
調査参加者はひとり残らずエネルギー開発に対する(さらなる)抗議を行いたいという欲求を口にしたが、こうした欲求に基づいて行動するにはあまりにも恐怖がまさっている人々もいる。過去にエネルギー開発への抗議に参加した人々は、警察から殴打を加えられるか、その他の形での報復を加えられるかした(あるいはその両方)と報告した。そうした報復のなかには、社会保障や雇用を打ち切られたり、親族への脅迫を受け取ったり、移動が禁止されたりといったこと(その二つ以上が当てはまる場合もある)が含まれていた。サハラーウィー主導の非政府組織(NGOs)はそのほとんどが占領下西サハラにおける存在の公式な登録を禁止されているけれども、西サハラの天然資源の搾取(エネルギーの領域も含む)に反対するキャンペーンに焦点を当ててきた未登録のサハラーウィーのNGOが二つ存在している。一つはスルターナ・ハヤー(Sultana Khaya)が主導する〈人権と天然資源のためのサハラーウィー連合〉であり、もう一つは〈西サハラ天然資源保護委員会〉(CSPRON)で、その代表はスィディアフマド・ラムジード(Sidahmed Lemjeyid)だ。どちらの代表も、その仕事のために、モロッコ国家の手による重大な人権の蹂躙をこうむってきた。ラムジードは現在、モロッコの刑務所で終身刑[60] を受けており、ハヤーは警察による拷問の最中に片目を失明し、現在は自宅軟禁下に置かれている。 [61] 警察は最近、彼女をレイプしようと試みた。警察は以前にも、スルターナのアクティヴィズムへの報復として、ハヤー家の家屋内で彼女の姉妹をレイプした。[62] これは、サハラーウィーの活動家に対するジェンダー化された報復という、より広範な固定化されたパターンに従ったものだ。モロッコ国家は、1975年以来サハラーウィーの政治囚たちに対してジェンダー化された形態の拷問を用いてきたが、そのなかには性的暴行、性的恥辱、そして囚人同士の強制性交が含まれていた。[63] 占領下の西サハラにおけるエネルギー・システムはしたがって、深刻な、ジェンダー化された人権の蹂躙と明白な繋がりを有している。
サハラーウィーが主導する「公正な移行」の姿とは?:キャンプからの問いとヒント
エネルギー・システムの未来についてのハイレベルな議論は、しばしば先住民の人々の声に関わり損ねてしまう。[64] この節で筆者たちが行おうとするのは、一握りのサハラーウィーのイニシアティブに光を当て、サハラーウィーによる公正な移行がどのようなものなのかを明るみに出すことだ。そこに含まれるのは、持続可能な食料生産のためのローテクの水耕栽培であり、再利用プラスチックで作られた家屋であり、解放された西サハラにおける再生可能エネルギーから電力を得た未来の都市の計画だ。しかしながら念頭に置いておかなければならないのは、キャンプにおけるそうした「良い実践」の事例が、それ自体として独立西サハラの政府が脱植民地化という出来事において真に公正な移行が達成されることを保証するわけではないということだ。自己決定は(これまでの節で見てきたように)サハラーウィーによる公正な移行の基盤的な要素だけれども、それがそれ自体として公正な移行を保証することにはならない。したがってこの節で私たちは、未来の独立した西サハラにおいて、採掘主義から公正かつ公平で再生的なシステムへと確実に移行するために取り組まれなくてはならないであろう問題についても、光を当ててみたい。
エンジニアのターリブ・イブラーヒーム(Taleb Brahim)は、難民の市民たちが自分で食べる果物や野菜を育てたり、家畜に餌を与えたりできるように、革新的なローテクの水耕栽培を開発してきた。水耕栽培とは、土を使わずに植物を育てるタイプの栽培技術のことだ。ここで言う「ローテク」とは、イブラーヒームによれば、難民の市民でもアクセスし入手することのできるテクノロジーを指す。この方法は、すべての人がアクセスでき、したがってもっとも貧しい家庭でも当たり前のこととして、健康的で栄養のある食べ物を自前で入手できるように設計されたものだ。この水耕栽培では、水は再循環され、天然素材の肥料が使用される。イブラーヒームが指摘するように、「もし殺虫剤や人工肥料が農業にとって必要なのだと主張するのであれば、私たちは多国籍企業に依存することになります」。[65] イブラーヒームは、みずからを動かしているのは「持続性、自給、そしてサハラーウィーの独立」という倫理なのだと説明する。[66] イブラーヒームによれば、彼は自分が知るかぎり、気候と資源の入手可能性の点で「極端」な状況であると広く認められた場所でローテクの水耕栽培を開発した世界で最初の人物だという。国連世界食糧計画(WFP)は現在、彼のモデルを難民の住民がいる七つの他の国で試験的に導入しており、キャンプに暮らす1200人のサハラーウィーたちが、彼の技術革新を再現するのに必要なトレーニングをすでに受けている。[67]
エンジニアのタターフ・ラフビーブ(Tateh Lehbib)は、家屋内の温度を下げ、風や洪水に対する抵抗力(伝統的な家屋は日干し煉瓦を用いて作られており、雨が降ると崩れてしまう)を高める新たな建築方法を創造してきた。かれの方法は安価な素材――リサイクルされた水ボトル――を土台にしたものであり、誰でも簡単に再現することができる。こうした建物のカーブしたドーム状の形態は、従来の四角い家屋よりも内部の温度を低く保つことになる。とりわけ年老いた人々や持病を有する人々など脆弱な難民の人々が、ラフビーブの新たな家屋形態からの恩恵を最初に受け取ってきた。[68]
イブラーヒームやラフビーブがキャンプでの生活をより持続可能で快適かつ健康なものにする技術革新の先頭に立ってきた一方で、ポリサリオが管理する西サハラの区域の将来に目を向けている人々もいる。建築家でエンジニアのハルターン・ムハンマド・サーリム・ビシュリー(Hartan Mohammed Salem Bechri)は、 持続可能な将来の都市を設計してきた。あるいは彼の言い方では、それは人間たちと非人間の伴侶種たち(ラクダやヤギたち)にとっての「いつまでも住めて長持ちする住居」であり、ポリサリオが管理する地域を念頭に置いたものだ。彼のデザインには、家屋に定住する市民たちとならんで、訪問する遊牧民たちや非人間の動物たちのためのサービスをそなえた区域も含まれている。その都市は、完全に再生可能エネルギーのみによって駆動することになる。[69]
ビシュリーやラフビーブ、イブラーヒームたちによる技術革新は、ありうる公正な移行について、いくつかのことを教えてくれる。公正な移行には、資源の公平な再分配が必要だ。[70] ラフビーブとイブラーヒームの技術革新からは、手に入れやすさと自給性への関心が明らかになる。二人のエンジニアは、原材料のために多国籍企業に頼らなくても、もっとも貧しい家庭が住居や健康な食料に確実にアクセスできるような方法を開発してきた。そうした技術革新は、(当の家庭自身にとって)経済的に維持可能で、環境的にも持続可能であることを目指したものだ。ラフビーブのデザインは、現段階では計画に過ぎないとはいえ、人間だけにとどまらない世界を、独立した西サハラにおけるサハラーウィーの未来というビジョンに組み入れたものだ。公正な移行のための枠組みは、たいていの場合、人間のコミュニティとならんで 「人間以上の自然」をケアすることの重要性を強調している。 サハラーウィーの場合では、このことは遊牧民の伝統とも協調するものだ。エコロジー意識を持ち環境を考えにいれた伝統的なサハラーウィーの実践は、少なくとも十八世紀に遡って文書に記録されているし、[71] 伝統的にラクダが[コミュニティの]中心に置かれ、そのケアが行われてきたことも、多くの証拠がある。[72] SADRが現在計画中のパリ気候協定に対する〈国民の決定による寄与(Nationally Determined Contribution:NDC)〉の草案は、 気候危機に取り組むより広範でグローバルな対話に貢献し、伝統的なエコロジー意識を持った実践の維持に寄与しようという[サハラーウィー]政府のさらなる意図を明らかにしている。[73]
より直接的に、SADRのエネルギー局は、SADRが管理する西サハラのエリア内で再生可能エネルギーを展開することを計画している。その展開は、難民たちの西サハラへの帰還を動機づけることにもなるだろう。エネルギー局は探査的な研究を行ってきており、現在は研究のなかで推奨されているいくつかの事項の試験的な実施に予算をつけようとしている最中だ。その研究は、病院のようなエッセンシャルな公共インフラに動力を与えるのに必要な太陽光・風力インフラ[の規模]を計算するものであり、共用の井戸――現在は遊牧民の使用する風車によって動力を得ている――のような既存のインフラの量を見積もるものだ。その研究は、住宅エネルギーについての選択肢にも目を向けている。電気エンジニアで探査的研究の共著者であるダディ・ムハンマド・アリー(Daddy Mohammed Ali)は、自身のチームとともに、大規模な太陽光発電所の選択肢について議論している。しかしながら、かれらはそうしたモデルが遊牧民の生活様式にとって「十分に受け入れ可能」かどうか、疑問を投げかけている。研究チームはそれゆえ、サハラーウィーの各家庭に自前の持ち運び可能で独立した太陽光テクノロジーを提供する可能性を探ってきた。ムハンマド・アリーはこう説明する。「私たちは解放された地域の家庭がしばしば移動するのを目にしますし、かれらが独立したパネルを手にするのは望ましいことです。持ち運びができて、さらに言えば独立したネットワークを持っているパネルです」。[74] 非定住の生活様式を維持することに関するそうした懸念は、サハラーウィーの公正な移行にとって本質的に重要な部分になるだろうし、遊牧民の実践を包摂する空間を確保することにもなるだろう。
SADR政府エネルギー局の設定した再生可能エネルギーの未来のための最近の計画は、政府の石油・鉱山当局(PMA)の以前の計画からは劇的に乖離している。2005年に始まったライセンス・ラウンド[政府が入札により化石燃料企業に鉱区の貸し出しを行い(通常5年契約)、探鉱の結果石油やガスが発見されれば新たに契約が結ばれる]を通じて、SADRは四つの多国籍企業とのあいだで、将来の独立西サハラにおける石油探鉱権についての保証協定に加入した。[75] PMAはライセンス・ラウンドの前に市民社会と広く相談をおこなってきた主張している。[76] しかし、サハラーウィーの若いアクティヴィストたちによる調査が突き止めたところでは、協定に協調的だった(それがモロッコによる石油開発に反対するものであるという理由で)市民社会のグループもあれば、環境的な観点から太陽光発電の方がはるかに好ましいという理由でそうした計画に批判的なグループもあった。[77] このことは、(なんらかの公正な移行に不可欠あるような)民衆の主権とは何なのか、そして解放された西サハラではエネルギーに関する決定がどのようになされることになるのか、といった問いを提起している。気候危機が進行しており、暑い気候で暮らすサハラーウィーのようなコミュニティにその影響が不均衡に偏るにも関わらず、石油が開発されることになるのだろうか? 占領下の西サハラにおける既存の風力・太陽光発電所は、国有化されることになるのだろうか? 化石燃料の採掘からの撤退と同様に、公正な移行においてもまた、エネルギー資源をめぐる民主的で参加型の意思決定が必要であり、そうした資源の公正な恩恵[の分配]が必要なのだ。
他方で、キャンプにおけるSADRの現在のエネルギー政策には、心強い面も存在している。例えば、1980年代後半に太陽光発電の電気を利用する限定的な機会(大部分がスイスとスペインのNGOからの資金援助による)がキャンプに訪れたとき、政府は三つの公的機関の電化を優先させるとした。病院・薬局、小学校、そして女性たちの教育・訓練センターだ。[78] おそらくだが、そうした優先化はSADRが公言するジェンダー平等への献身的取り組みを反映したものだ。[79] 著者たちが前節で議論したように、占領下の西サハラにおける現在のエネルギー・システムは、不均衡に女性や少女たちに対してネガティブな影響を与えている。それは頻繁な停電のためであり、採掘主義的なエネルギー・モデルに反対する人々へのジェンダー化された抑圧のためだ。したがってサハラーウィーの公正な移行とは、別の文脈でもそうであるように、フェミニズムに基づいたものでなければならない。[80]
結論
占領下西サハラにおけるエネルギー・システムは、送電線やケーブルによって物理的にモロッコと西サハラを繋いでいる。モロッコによる占領下西サハラでの再生可能エネルギー開発は、モロッコにその占領をグリーンウォッシュする機会を提供しているのと同時に、同国に偽りのエネルギー「主権」を提供しており、それによってアルジェリアのような隣国へのエネルギー上の依存度が減少している。さらに言えばこうした開発は、少なくとも部分的には西サハラから供給されるエネルギーに対する依存をモロッコの外部に作り出すことを目的に利用されている。こうしたエネルギー開発が、他の国々にとって占領を支持するインセンティブを生み出していることは疑いの余地がない。
サハラーウィーの人々にとって、占領下の西サハラにおける現在のエネルギー・システムは、植民地主義のための抑圧的な手段となっている。占領された領土に暮らすサハラーウィーたちにとって、エネルギーの公正(energy justice)とは独立と脱植民地化に分かちがたく結びついたものだ。このことは、亡命国家やアルジェリアの難民キャンプに暮らすサハラーウィーたちにも当てはまる。そこでは持続可能性や自給性、そして自己決定に基づいた技術革新が試されてきた。にもかかわらず、将来の解放された独立西サハラにおけるエネルギー政策をめぐる問題は、未解決のままだ。モロッコによる占領の終結と完全な脱植民地化がサハラーウィーの公正な移行にとって不可欠である一方で、西サハラのエネルギー資源に対する民衆の主権を保証するSADR政権の能力もまた、根底的な重要性を保つことになるだろう。■
ジョアンナ・アラン(Joanna Allan) は、ノーサンブリアNorthumbria大学の地理学・環境科学部の研究者。彼女は〈西サハラ・キャンペーンUK〉と〈西サハラ資源ウォッチ〉に参加するアクティヴィストでもある。
マフムード・ルマアディル(Mahmoud Lemaadel)は、独立研究者でメディア・アクティビスト。モロッコによる占領下の西サハラおよびアルジェリア南西部のサハラーウィー難民キャンプで活動するローカル・メディア・人権プラットフォームである〈メディアと人権のためのヌシャター基金〉の共同設立者でもある。
ハムザ・ラカハル(Hamza Lakhal)は、ダーハム大学で人類学を先行する博士課程の大学院生。サハラーウィーの詩人であり、西サハラ独立支援のアクティヴィストでもある。
翻訳:中村峻太郎、翻訳協力:中鉢夏輝
©Transnational Institute, under a Creative Commons Licence
使用画像:The Sahrawi refugees – a forgotten crisis in the Algerian desert (7).jpg(via Wikimedia Commons)
※翻訳にあたり、固有名詞の表記などの一部に関して新郷啓子氏の著作『抵抗の轍:アフリカ最後の植民地、西サハラ』(インパクト出版会、2019年)を参照しました(もっとも、内容・表記等の誤りはすべて訳者に帰するものです)。また〈西サハラ友の会〉が日本語で西サハラに関する詳細情報を随時公開しており、そちらも参考にしました(特にこの記事)。ぜひ併せてご覧ください。
[1] Aly, B. (10 January 2019) ‘5 key security challenges for North Africa in 2019’. Africa Portal. Available at: https://www.africaportal.org/features/5-key-security-challenges-north-africa-2019/# (retrieved 28 September 2021).
[2] 私たちは用いる「公正な移行」の定義はClimate Justice Allianceのものだ。以下を参照。https://climatejusticealliance.org/just-transition/ [retrieved 30 September 2021].
[3] 例えば、モロッコをグリーン・エネルギーへの移行における「パイオニア」とするInternational Renewable Energy Agency (IRENA)の最近の報告書を参照のこと: IRENA (2021) ‘Morocco and IRENA partner to boost renewables and green hydrogen development’. Available at: https://www.irena.org/newsroom/pressreleases/2021/Jun/Morocco-and-IRENA-Partner-to-Boost-Renewables-and-Green-Hydrogen-Development [retrieved 30 September 2021].
[4] 西サハラにおけるスペインによる資源搾取の歴史について、より詳しくは以下を参照のこと。Martínez-Milán, J. (2017) ‘La larga puesta en escena de los fosfatos del Sahara Occidental, 1947–1969’, Revista de historia industrial 26 (69): 177–205.
[5] United Nations General Assembly, Declaration on the Granting of Independence to Colonial Countries and Peoples, 14 December 1960, A/RES/1514(XV), available at: https://www.refworld.org/docid/3b00f06e2f.html [retrieved 28 September 2021].
[6] Hodges, T. (1983) ‘The origins of Saharawi nationalism’, Third World Quarterly 5: 28–57. p. 49.
[7] サハラーウィーの民族主義のより詳細な歴史については以下を参照。 San Martín, P. (2010) Western Sahara: The refugee nation. Cardiff: University of Wales Press.
[8] San Martin (2010) Western Sahara. p. 66.
[9] International Court of Justice (1975) Western Sahara: Advisory opinion of 16 October 1975. Available at https://www.icj-cij.org/en/case/61 [retrieved 30 September 2021].
[10] この三国間協定について、より詳しくは以下を参照。Chapter 1 of Zunes, S. and Mundy, J. (2010) Western Sahara: War, nationalism and conflict irresolution. New York: Syracuse University Press.
[11] ハサン2世によるいわゆる「緑の行進」——およそ35万人のモロッコ市民が、クルアーンだけを携えてスペイン領サハラに大挙した——は、しばしば「平和的な」と形容される。にもかかわらず、モロッコ軍の部隊は先年の夏からすでにスペイン領サハラに越境を行っており、1975年10月時点までに「数千人の正規軍が参加する完全規模の軍事侵攻」を開始していた(San Martin 2010: 104)。Stephen ZunesとJacob Mundyが注記しているように、いくつかの信頼できる人権団体が、非戦闘員の住民に対する大規模な攻撃、ジュネーヴ四条約およびその他の戦争法のシステマティックな侵犯について、詳細な説明を公表してきた (Zunes and Mundy 2010: 114)。
[12] モロッコ空軍は、1976年2月にGuelta ZemmourとUm Draigaの民間人の難民キャンプ(ともに西サハラ領内) を爆撃し、確認されただけで四回ナパーム弾を使用している(Zunes and Munday 2010: 114)。
[13] 以下を参照のこと:United Nations General Assembly, Question of Western Sahara. 21 November 1979, A/RES/34/37. Available at: https://www.refworld.org/docid/3b00f1aa8.html [retrieved 29 September 2021]. 西サハラの事例に取り組む法学者の圧倒的な多数派もまた、モロッコが「占領勢力」であると理解してきた。以下を参照。 Allan, J. and Ojeda, R. (2021) ‘Natural resource exploitation in Western Sahara: new research directions’, Journal of North African Studies. pp. 4–13. Print issue forthcoming. Published online at: https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/13629387.2021.1917120 [retrieved 24 September 2021].
[14] Jensen, G., and Lovelace, D. C. (2013) War and Insurgency in the Western Sahara. Strategic Studies Institute and U.S. Army War College. p. 10.
[15] とりわけ以下を参照。 Amnesty International (1996) ‘Human rights violations in Western Sahara’, MDE/29/04/96. Available at https://www.amnesty.org/en/documents/MDE29/004/1996/en/ [retrieved 30 September 2021].
[16] Cornell Law School and Université de Caen Basse-Normandie (2015) ‘Report on the Kingdom of Morocco’s violations of the International Covenant on Economic Social and Cultural Rights in the Western Sahara’. Available at: https://tbinternet.ohchr.org/Treaties/CESCR/Shared%20Documents/MAR/INT_CESCR_CSS_MAR_21582_E.pdf [retrieved October 2021].
[17] Telephone interview with Abdelhay Larachi, 19 November 2020.
[18] Acosta, A. (2013) ‘Extractivism and neoextractivism: two sides of the same curse’, in M. Lang and D. Mokrani (eds.) Beyond Development: Alternative visions from Latin America. Quito and Amsterdam: Rosa Luxemburg Foundation and Transnational Institute. p. 62.
[19] Ibid. p. 62
[20] Hamouchene, H. (2019). ‘Extractivism and resistance in North Africa’. Amsterdam: Transnational Institute.
[21] Ibid. p. 4.
[22] 観光に関してはHamouchene (2019: 4)、文化の盗用については以下を参照のこと。Juhn, S. and Ratté, E. (2018) ‘Intellectual extractivism: The dispossession of Maya weaving’. Intercontinental Cry. Available at: https://intercontinentalcry.org/intellectual-extractivism-the-dispossession-of-maya-weaving/
[23] Hamouchene, H. (2015) ‘Desertec: The renewable energy grab?’ New Internationalist. Available at: https://newint.org/features/2015/03/01/desertec-long [retrieved 21 September 2021].
[24] Dunlap, A. (2019) Renewing Destruction: Wind energy development, conflict, and resistance in a Latin American context. London: Rowman and Littlefield.
[25] For more on the links between the Moroccan royal family and energy developments in occupied Western Sahara, see WSRW (2021) ‘Greenwashing the occupation: How Morocco’s renewable energy projects in Western Sahara prolong the conflict over the last colony in Africa’. Brussels: WSRW. p. 25. Available at https://vest-sahara.s3.amazonaws.com/wsrw/feature-images/File/405/616014d0c1f1d_Greenwashing-occupation_web.pdf [retrieved 12 October 2021].
[26] WSRW (2020) ‘Dirty green energy on occupied land’. Available at: https://wsrw.org/en/news/renewable-energy [retrieved 22 September 2021].
[27] Ibid.
[28] WSRW (2020) ‘Dirty green energy on occupied land’. For the most recent, detailed information on renewable energy developments in occupied Western Sahara, see WSRW (2021), Greenwashing occupation: how Morocco’s renewable energy projects in Western Sahara prolong the conflict over the last colony in Africa’. Brussels: WSRW. Available at https://wsrw.org/en/news/report-morocco-uses-green-energy-to-embellish-its-occupation [retrieved 12 October 2021].
[29] WSRW (2021) ‘P for plunder: Morocco’s exports of phosphates from occupied Western Sahara’. Brussels: WSRW. Available at: https://vest-sahara.s3.amazonaws.com/wsrw/feature- images/File/157/6081d8e0f3bcb_Pforplunder2021_Web.pdf [retrieved 23 September 2021].
[30] WSRW (2012) ‘Label and liability’. Stockholm: WSRW and Emmaus Stockholm. Available at: https://wsrw.org/files/dated/2012-06-17/wsrw_labelliability_2012.pdf [retrieved 23 September 2021].
[31] Saharawi Campaign Against the Plunder (SCAP) (2013) ‘Saharawis: Poor people in a rich country’. Tindouf: SCAP. Available at: http://www.hlrn.org/img/documents/snrw_report_eng2013.pdf [retrieved 23 September 2021].
[32] Observatorio de Derechos Humanos y Empresas en el Mediterráneo (ODHE) (2019) ‘Los tentáculos de la ocupación’. Barcelona: ODHE. Available at: http://www.odhe.cat/es/los-tentaculos-de-la-ocupacion/ [retrieved 23 September 2021].
[33] 以下の論文の法律に関する部分を参照のこと: Allan and Ojeda (2021) ‘Natural resource exploitation in Western Sahara’.
[34] Allan and Ojeda (2021) ‘Natural resource exploitation in Western Sahara’.
[35] RES4MED (2018) ‘Country Profile: Morocco 2018’. Renewable Energy Solutions for the Mediterranean and Africa. p. 4. Available at: https://www.res4med.org/wp-content/uploads/2018/06/Country-profile-Marocco-2.pdf (retrieved 4 October 2021).
[36] Office National de l’Electricité et de l’Eau Potable (2016) ‘ONEE au Maroc et en Afrique: Activité électricité’. Available at: http://www.one.org.ma/FR/pdf/Brochure_ONEE_Africa_VF_COP22_V2.pdf (retrieved 4 October 2021).
[37] Germany, France, Spain, Portugal and Morocco (2016). Joint declaration on the establishment of a roadmap for sustainable electricity trade between Morocco and the European internal energy market. Available at: https://ec.europa.eu/energy/sites/ener/files/documents/2016_11_13_set_roadmap_joint_declaration-vf.pdf (retrieved 2 November 2021).
[38] Bennis, A. (2019) ‘Morocco’s contemporary diplomacy as a middle power’, Journal of International Affairs. Available at: https://jia.sipa.columbia.edu/online-articles/moroccos-contemporary-diplomacy-middle-power (retrieved 4 October 2021); North Africa Post (2019) ‘Morocco reaps diplomatic gains of soft power in Africa’. Available at: https://northafricapost.com/29771-morocco-reaps-diplomatic-gains-of-soft-power-in-africa.html (retrieved 4 October 2021).
[39] North Africa Post (2019) ‘Morocco reaps diplomatic gains of soft power in Africa’.
[40] Ngounou, B. (20 December 2018) ‘Morocco: Sharing experience in renewable energy with Africa’. Afrik 21. Available at: https://www.afrik21.africa/en/morocco-sharing-experience-in-renewable-energy-with-africa/ (retrieved 4 October 2021).
[41] Ediallo, P. (5 September 2021). ‘Morocco-Algeria dispute: a challenge for the kingdom’s energy supply’. Africa Logistics Magazine. Available at: https://www.africalogisticsmagazine.com/?q=en/content/morocco-algeria-dispute-challenge-kingdoms-gas-supply [retrieved 4 October 2021]; Zoubir, Y. (12 September 2021) ‘Why Algeria cut diplomatic ties with Morocco: and implications for the future’. The Conversation. Available at: https://theconversation.com/why-algeria-cut-diplomatic-ties-with-morocco-and-implications-for-the-future-167313 [retrieved 4 October 2021].
[42] WSRW (2021) ‘Greenwashing Occupation.’p. 3.
[43] The detailed results of this fieldwork have been published in Allan, J., Lemaadel, M., and Lakhal, H. (2021) ‘Oppressive energopolitics in Africa’s last colony: energy, subjectivities, and resistance’. Antipode. Published online (print version forthcoming). Available at: https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1111/anti.12765 [retrieved 26 September 2021].
[44] Dadi, quoted in Allan et al. (2021) ‘Oppressive energopolitics’.
[45] Hartan, quoted in Allan et al. (2021) ‘Oppressive energopolitics’.
[46] Mahmoud, quoted in Allan et al. (2021) ‘Oppressive energopolitics’.
[47] Fadel, quoted in Allan et al. (2021) ‘Oppressive energopolitics’.
[48] Baptista, I. (2016) ‘Maputo: Fluid flows of power and electricity – prepayment as mediator of state-society relationships’, in A. Luque-Ayala and J. Silver (eds.) Energy, Power, and Protest on the Urban Grid: Geographies of the electric city. London: Routledge. pp. 112– 132.
[49] Lemanski, C. (2020) ‘Infrastructural citizenship: the everyday citizenships of adapting and/or destroying public infrastructure in Cape Town, South Africa’, Transactions of the British Institute of Geographers 45(3): 589–605.
[50] Ali, quoted in Allan et al. (2021) ‘Oppressive energopolitics’.
[51] 例えば、北アメリカの南部諸州において白人至上主義を制度化するために電力インフラが利用されていることについて、以下の文献を参照のこと: Harrison, C. (2016) ‘The American South: electricity and race in Rocky Mount, North Carolina, 1900–1935’, in A. Luque-Ayala and J. Silver (eds.) Energy, Power, and Protest on the Urban Grid: geographies of the electric city. London: Routledge. pp. 21– 44. あるいは、ヨーロッパの植民地における人種に基づいたエネルギーへのアクセスの不平等については、Baptista (2016) ‘Maputo: Fluid flows of power and electricity’を見よ。
[52] Interview with Mahmoud (pseudonym), El Aaiun, occupied Western Sahara, 27 May 2019.
[53] Salka quoted in Allan et al. (2021) ‘Oppressive energopolitics’.
[54] Zrug quoted in Allan et al. (2021) ‘Oppressive energopolitics’.
[55] Mahmoud quoted in Allan et al. (2021) ‘Oppressive energopolitics’.
[56] Nguia quoted in Allan et al. (2021) ‘Oppressive energopolitics’.
[57] Nguia quoted in Allan et al. (2021) ‘Oppressive energopolitics’.
[58] Dadi quoted in Allan et al. (2021) ‘Oppressive energopolitics’.
[59] Salka quoted in Allan et al. (2021) ‘Oppressive energopolitics’.
[60] For more on Lemjeyid’s case, see Moe, T. S. (2017) ‘Observer report: the 2017 trial against political prisoners from Western Sahara’. Available at:
https://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=3050803 (retrieved 28 June 2021).
[61] Allan, J. (2016) ‘Natural resources and intifada: oil, phosphates, and resistance to colonialism in Western Sahara’, Journal of North African Studies 21(4): 645– 666 (p. 656).
[62] Amnesty International (2021) ‘Saharawi activist at risk of further assault’, MDE 29/4198/2021. Available at: https://www.amnesty.org/en/wp-content/uploads/2021/05/MDE2941982021ENGLISH.pdf [retrieved 12 October 2021].
[63] See Chapter 5 in Allan, J. (2019). Silenced resistance: women, dictatorships, and genderwashing in Western Sahara and Equatorial Guinea. Madison: Wisconsin University Press.
[64] Loloum, T., Abram, S. and Ortar, N. (2021) ‘Politicising energy anthropology’, in T. Loloum, S. Abram and N. Ortar (eds.) Ethnographies of Power: a political anthropology of energy. New York: Berghahn. pp. 1–23.
[65] Interview with Taleb Brahim, Smara camp, 11 October 2019.
[66] Ibid.
[67] Ibid.
[68] Ibid.
[69] Bechri, H.M.S. (2017) Towards a Nature-Friendly Durable Permanent Habitat in Western Sahara. Master’s dissertation, Hadj Lakhdar University; Joanna Allan interview with Harten Mohammed Salem Bechri, Aaiun camp, 15 October 2019.
[70] 私たちが用いてる公正な移行の定義は、Climate Justice Allianceによるものだ。以下を参照。 https://climatejusticealliance.org/just-transition/ [retrieved 30 September 2021].
[71] 著者たちが見つけたもっとも古い文献は以下のものである。Saugnier, F. and Brisson, P. (1792) Voyages to the Coast of Africa by Mess. Saugnier and Brisson, Containing an Account of their Shipwreck on Board Different Vessels, and Subsequent Slavery, and Interesting Details of the Manners of the Arabs of the Desert. London: G.G.J. and J. Robinson. p. 35. Shipwrecked Mr Saugnier, ‘abducted’ at Boujdour (modern day Western Sahara) by ‘wandering Arabs’, marvels at the Saharawis’ ecologically-aware practices, such as their insistence on only using dead wood for kindling and never any live shrubs.
[72] 例えば以下を参照。Volpato, G. and Howard, P. (2014) ‘The material and cultural recovery of camels and camel husbandry among Sahrawi refugees of Western Sahara’, Pastoralism 4(7). Available at: https://pastoralismjournal.springeropen.com/articles/10.1186/s13570-014-0007-4 [retrieved 13 October 2021].
[73] このNDCは、2021年11月開催のCOP26に合わせて公表される予定だ。
[74] Interview with Daddy Mohammed Ali, 9 October 2019.
[75] Kamal, F. (2015) ‘The role of natural resources in the building of an independent Western Sahara’, Global Change, Peace & Security 27(3): 345–359.
[76] Irwin, R. (2019) Derivative States: Property rights and claims-making in a non-self-governing territory. Thesis, Doctor of Philosophy, the New School for Social Research. p. 79.
[77] Ibid. p. 79.
[78] Focus group with director and several civil servants of the SADR Energy Department, Rabouni camp, Tindouf, 7 October 2019.
[79] ジェンダー平等に関するサハラーウィーの民族主義的言説について、より詳しくは以下を参照のこと。Allan, J. (2010) ‘Imagining Saharawi women: the question of gender in POLISARIO discourse’, Journal of North African Studies 15(2): 189–202.
[80] For more on the need for a just transition to be feminist, see Steinfort, L. (2018) ‘Ecofeminism: fueling the journey to energy democracy’. Available at: https://www.tni.org/en/article/ecofeminism-fueling-the-journey-to-energy-democracy [retrieved13 October 2021].