カトマンズの鉄砲水はどのようにつくられたか?


カトマンズの鉄砲水はどのようにつくられたか?

トム・ロバートソン

ネパーリ・タイムズ、2021年7月31日

原文リンク:https://nepalitimes.com/here-now/kathmandus-flash-floods-are-4-decades-in-the-making

はじめに

1967年、氾濫原を西から見たカトマンズ盆地の航空写真
(写真:アール・ウェッブ/ダグ・ホール平和部隊コレクション)

カトマンズ盆地の地形は、いくつかの利点に恵まれている。それは、マラリアにとっては[標高が]高すぎるし、雪や氷にとっては低すぎるという点である。また、北インドの人口密集地と高いヒマーラヤ山脈の峠道との間に位置するため、歴史的な中継地として完璧な位置を占めている。

しかし、この盆地は地震と洪水にも悩まされている。洪水はほぼ毎年モンスーンの時期に発生し、かつては土壌を回復させる沈泥を農地にもたらしたが、最近では被害と破壊が多くを占めている。

洪水はすぐに発生するため、数時間で水かさが4倍になる河川もある。私たちはそれを「鉄砲水(flash floods)」と呼ぶ。そして、私たちはそれを自然やモンスーンの豪雨のせいにしがちであり、実際、この盆地は何世代にもわたってそのような洪水に見舞われてきた。

しかし、今日の鉄砲水の多くは人間が引き起こしたものである。氾濫原だけでなく、盆地の無計画な開発が、洪水をより頻発させ、より深刻化する条件を作り出したのである。

つまり、川が突然増水するため、私たちはこの盆地の毎年の氾濫を「鉄砲水」と呼んでいるが、実はその原因は、少なくともこの盆地が爆発的に成長して以来、過去数十年にわたって作られてきたのである。

「1980年代半ば以降の変化のスピードは速く、無秩序で、誤った統治が行われてきた」と、水の専門家で、ネパールの災害を解説した『Prakop』の著者であるアジャヤ・ディクシットは言う。「都市の発展は、水文学的な整合性を犠牲にして行われており、激しい降雨が起こるとさらに事態は悪化する」。

(出典: Ishtiaque, Asif, Milan Shrestha, and Netra Chhetri. “Rapid Urban Growth in the Kathmandu Valley, Nepal: Monitoring Land Use Land Cover Dynamics of a Himalayan City with Landsat Imageries.” Environments 4 (October 8, 2017): 72. https://doi.org/10.3390/environments4040072.)

モンスーン・パターン

何世紀もの間、洪水は定期的にカトマンズ盆地を襲ってきた。それはモンスーンの影響を受ける河川の常で、特に流れの速い土砂を多く含んだヒマーラヤの水が平坦な地形を襲うときに起こる。

しかし、ヒマーラヤの主要な河川とは異なり、この盆地の川は雪によって育まれておらず、近くのシバプリとその周辺の丘から始まる。バグマティ川の最初の一滴は、標高2,700m近いシバプリの肩にあるバグドワールの大地から染み出す。そこからチョバール渓谷まで30kmの道のりを進み、渓谷を離れてインド国境までさらに140km下る。

バグドワールでバグマティ川は急降下し、1キロごとに約130メートル下がる。谷底に差し掛かると流れは緩やかになり、パシュパティとテクを過ぎると、1キロあたりわずか2.7メートルの傾斜で流れる。そしてチョバールを過ぎると、マハバラート山地を通過する途中で再び傾斜が加速し、タライにぶつかると再び傾斜が緩やかになる。

盆地に降る雨の大部分、その80%以上は、6月中旬から9月中旬までの3ヶ月間に降る。しかし、雨は一様に降るわけではなく、止んだりしながら、あるときは霧雨のように降り、あるときは暴風雨や突発的な豪雨で大量の雨を降らせる。盆地のすぐ南にあるバグマティ川流域では、1日に400mm以上、1時間に40mm以上の雨が降ることもある。そして、大雨は鉄砲水をもたらす。

1793年の訪問後、イギリス領東インド会社のウィリアム・カーパトリック大佐は、盆地のモンスーンによる大洪水について次のようにコメントしている。「盆地を流れる川の流れは、水を素早く運ぶほど急流ではないが、その結果、堤防が低くなると、どこでも氾濫しやすくなる」。

洪水は「農民に甚大な被害を与える」と彼は指摘し、農民はしばしばその犠牲となった。盆地の住民は適応し、高台に集落を作り、低い氾濫原を農作物用に確保した。

高台とは、谷の山壁の周りを囲む斜面を意味するが、特に山の麓から盆地の中心部まで、低地の水路の間に広がる指のようなタール(台地、टार)を指す。盆地の住民は、歴史的な都市を含む集落をこれらのタールの上に築いた。

1850年代、イギリス人医師のヘンリー・アンブローズ・オールドフィールドはこの構造に注目した。「ほとんど全ての都市、町、主要な村などは高台に位置している」。

盆地の住民は低地を耕作に利用していた。オールドフィールドは続けて述べた。「一般的に、盆地の低地は灌漑が可能で、雨が降れば必ず氾濫するため、稲作に利用されている。あちこちに小屋やポワ(powa、東屋)や寺院が見られるが、通常、これらの土地にはほとんど人が住んでいない」。経済的状況がこの構造を突き動かしていた。オールドフィールドは、低地の「極端な肥沃さと生産性は、建物を建てるにはあまりにもったいない」と述べている。

健康への懸念も同様だった。低地の「低さと湿気」は「不健康をもたらす」。しかし、洪水も同様だった。モンスーンの豪雨は定期的な鉄砲水を意味するため、オールドフィールドは「洪水の確実性」を説明した。カークパトリックがこうした洪水について記述した半世紀後のことである。

ますます激しくなる洪水

しかし、カトマンズの21世紀の洪水は、カークパトリックやオールドフィールドが19世紀に説明したものとは異なっている。状況が変わったのだ。現在、カトマンズの住民は、洪水が日常的に押し寄せてくる低地に、以前は決して建てなかった建物を建てたというだけではない。環境もまた作り変えられたのである。すなわち、氾濫原だけでなく、景観全体が作り変えられ、毎年の洪水は以前よりはるかにひどくなっている。

気候変動はより激しい雨をもたらした。それはこの新しい状況の一部ではあるが、ほんの一部に過ぎない。その代わりに、盆地の環境、特に水系に対する他の広範囲にわたる変化が、洪水をより頻繁に、より激しくしている。

最も重要なのは、数十年前まで、盆地の土壌と砂はモンスーンの雨を夏になるとスポンジのように吸収し、一年を通してゆっくりと放出していたことである。実際、地面は多くの水を吸収し、保持していたため、盆地の大きな川は、1年のうち8ヶ月も続く乾季のあいだでも涸れることはなかった。モンスーンによる大雨の際も、土壌の吸収力が洪水を遅らせた。

「土壌が多くの水を吸収することで、水量が多い時期の洪水を防いでいる」と水の専門家であるマドゥカル・ウパディヤは教えてくれた。確かに、歴史的に見れば、水の景観はすべて雨水の「緩やかな吸収と緩やかな放出」を中心に回っていた。

しかし、ウパディヤは残念そうにこう付け加えた。「私たちはすべてを劇的に変えてしまった」。

最大の変化は、大きな建物やコンクリートが、水が地面に流れ込むのを妨げていることである。雨水は土壌に浸み込む代わりに、屋根や舗装道路を直撃し、低い場所に直接流れ込み、川底を満たし、時には数分で溢れかえる。

「我々はすべての土地を塞いでしまった。これで水は地面を通らず、まっすぐコラ(小川、खोला)に向かって流れるようになった」。ウパディヤは言う。「水は突然くる(ह्वात्तै आउँछ)」と。

問題は氾濫原の新しい建物だけではない。盆地のいたるところで、建物や道路、中庭などの「不浸透面」が地下水の涵養を妨げている。かつてはレンガと泥、湿地と池のコンパクトな都市だったカトマンズと盆地全体が、コンクリートの広大な大都市となってしまった。

1980年から2010年の間に、カトマンズの大きさは4倍になり、現在も急速に拡大している。移住者が増え、移動人口が増え、ブルドーザーが縦横無尽に道路を整備するなか、カトマンズは世界で最も急速に都市化が進んでいる地域のひとつである。

こうしたコンクリートや変化は、盆地の従来の水系模様を破壊し、吸収を妨げ、流出を加速させている。アジャヤ・ディクシットは「コンクリートの表面とオープンスペースや湿地帯の喪失が、保水力を奪い、激しい雨が降ったときに即座に表面流出するようになった」と説明する。

カトマンズが成長するにつれて、この問題に拍車をかけているのが、盆地の風景、特に北側半分に点在していた小さな砂の丘、ディスコ(ढिस्को)のブルドーザーによる破壊である。

「雨水を貯め、ゆっくりと放出していた盆地周辺の山麓の砂丘が失われてしまった」とウパディヤは私に指摘した。

所有者はコンクリート材料となる砂を売り、平らになった土地は住宅やその他の建設用地として売る。彼らは二重の報酬を得るが、より広範囲な生態系は被害を受ける。2018年にバクタプルのハヌマンテ川で発生した大洪水は、ディスコ(ढिस्को)の損失が原因であった。

「ハヌマンテ川の洪水の前に、ナガルコットまでの流域でたくさんの丘が削られ、置き換えられた」とウパディヤは言う。洪水は莫大な損失をもたらした。こうした変化の結果、カトマンズ盆地の水は新たなパターンを描いて流れるようになった。盆地の複雑な生態系を変化させることは、予期せぬ結果をもたらした。

「私たちの昔の川はもうない」

盆地の貯水量と流れのパターンがすっかり変わってしまったように、河床もすっかり変わってしまった。カトマンズの川は、もはやかつての姿ではない。

川底が砂で覆われることもなくなった。水はより狭い水路を通って流れている。川岸の一方または両方にある壁が水流を誘導し、川を圧迫している。場所によっては、低い土手が埋められ、ゴミや廃棄物が積み上がっている。川岸は壁で囲まれ、高くなっている。

かつては水牛やヤギが草を食み、人々が洗濯をしたり、祈ったり、遊んだりしていた場所に、今では建物が建ち並び、車やバイクが危険なスピードで走り抜けている。

「昔のようなコラ(小川、खोला)はもうない」とウパディヤは嘆く。

一世紀半前のビシュヌマティ川に関するある野鳥の記述に私は驚いた。「流れは常に浅く、水路はそれなりに広いが、ほとんどの部分は隣接する耕作地よりわずかに低い」と、1870年代に外国人訪問者が書いている。150年後のビシュヌマティ川は、そのほとんどが両岸の塀の下3メートルを流れている。

バグマティ川もまた新しい川となった。1870年代、その訪問者は、バグマティ川が「非常に広い水路」を持ち、水がその意思と必要に応じて広がっていることを指摘した。「雨が降っているときでさえ、水は浅く、『膝くらいの深さ』しかなかった」と彼は述べた。

当時はまだ盆地の土壌が巨大なスポンジとして機能し、川は放牧された水牛のように蛇行することができた。コンクリートが盆地の土壌の大部分を塞ぎ、川の壁が川の流れを圧迫し、深くする以前のことである。

ほぼ同時期に記したオールドフィールドは、バグマティ川の流れについても次のように評している。「バグマティ川は常に浅いが、雨が降ると、広く急流に膨れ上がる」。彼はまた、バグマティ川の「水は神聖であるだけでなく、特別に純粋で健全であるとみなされている」とも述べている。

カトマンズの二大河川であるビシュヌマティ川とバグマティ川は、現在では石壁に囲まれた狭い川となっている。砂の土手はなくなり、蛇行も少なくなった。もはや「常に浅い」川ではない。

小さい川の大きな変化

しかし、ドビ・コラ川、ハヌマンテ川、サマクーシ川、さらに小さな小川など、多くの小さくも力強い川ほど変わり果てたものはないだろう。これらの支流や小川は、覆い隠され、時にはその上に建物が築かれている。大雨が降って古い水路が埋まったり溢れたりするまでは、その小川が存在するのかどうかさえわからないことも多い。

バクタプルのハヌマンテ川の長さは20kmに満たない。街の下部を流れ、カトマンズとバクタプルを結ぶ大動脈であるアルニコ・ハイウェイの下を流れている。2018年7月11日、この流域では大雨が降った。バクタプル測候所では129.6mm、ナガルコット測候所では117mmの降雨量を観測した。真夜中過ぎに洪水の水が押し寄せ、数時間にわたって氾濫した。

洪水の被害はいくつかの要因によって引き起こされた。過去20年の間に、流域全体が広範囲にわたって開発された。雨水は土壌に染み込むことなく、直接川に流れ込むようになった。

以前は雨水を吸収し、貯水していた数多くの砂丘は取り除かれた。氾濫原そのものには、新しい住宅地と数多くの店舗、主にハイウェイ沿いに出現している。ゴミや狭い橋が排水を妨げ、問題をさらに大きくしている。

ハヌマンテ川自体も以前とは異なる様相を見せている。1964年には川幅は6メートルもあったが、現在では侵食が進み、2メートルほどしかない。ビルやその他の開発は、その結果をほとんど考慮せずに進められてきた。

「2018年にバクタプルで起きた洪水に先立ち、政府当局が洪水を軽減・防止するために実施した確たる対策はなかった」と、武装警察隊による最近の調査は結論づけている。

ハヌマンテ川の洪水は農作物を押し流し、カトマンズとバクタプルを結ぶ幹線道路に流出し、数時間にわたって交通を遮断した。洪水は500軒の家屋、100軒以上の商店、ガソリンスタンドを含む28の小規模事業所、2つの学校、2つの病院に押し寄せた。場所によっては、泥水が1週間も滞留した。

警察はいかだやクレーンを投入し、数百人を救助した。大雨による上流の地滑りで少なくとも3人が死亡した。

バクタプル近郊の雨は洪水が起こった日に早く降ったが、記録的な降雨にはほど遠かった。この地域は過去に3度、同じ量の降雨を受けている。そして一度だけ、ハヌマンテ川とバクタプルにあらゆる舗装道路や建物ができるずっと前の1990年には、2018年の洪水を引き起こした量のほぼ2倍にあたる250mmの雨が1日に降った。カトマンズ近郊の山間部では、さらにその2倍の降雨量を観測したところもある。

「川という自然の水路を侵食することで、私たちは自らの命を脅かしている」と、水問題の活動家(water activist)のラジャラム・プラジャパティは『Republica』に書き、「私たちは自ら災害を招いている」と述べた。

季節性河川

同様に、カトマンズの人々は、盆地の何百もの小さな季節性の河川、カハレ(खहरे)を作り変えることで、洪水を招いてきた。

一年の大半、これらの小川は空っぽで乾いており、ほとんど目立たない。しかし、雨が降り始めると、盆地の隅々から姿を現し、数週間から1、2ヶ月の間、盆地を蛇行しながら流れ、多くの場合、季節的な湿地帯、池、沼地(ネワール語では’ドール’ डोलと呼ばれる)を作り、空が晴れると消えてしまう。

伝統的に、モンスーンになると水が溜まってしまうことを知っていた人々は、誰もカハレの近くに建物を建てなかった。しかし現在では、新しい建築物が土地を占有するようになり、開発業者は小川が流れる地形に逆らえなくなっている。そして、予想通り、問題が発生している。

たとえばボダナート近郊では、ミンケット・レプチャが『Record』誌の水と遺産に関する素晴らしい最近の長文記事で書いているように、1990年代の不動産ブームがいくつかのカハレを一掃してしまった。畑はコンクリートの家に、小川は小道に、川は道路に変わった」と彼女は書いている。

人々はカハレの生態学的役割を無視している。「1990年代、建設業者や不動産所有者は、これらの湿地を荒れ地とみなしていた」と、地元住民で環境弁護士のチランジビ・バッタライは指摘する。

しかし、レプチャによれば、自然には「その場所を取り戻す」術があるという。たとえ何トンものコンクリートで埋め尽くされ、覆い尽くされたとしても、盆地に古くからある小川や湿地帯は、ほぼ毎年、氾濫する。

家屋や財産に被害を与え、破壊する洪水もある。「あなたはカハレに迷惑をかけ、カハレはあなたに迷惑をかける」とバッタライの息子アユシュマンは指摘する。

逃したチャンス

盆地の水辺の風景が大きく変貌を遂げたのは、1970年代から1980年代にかけてのことである。長年の伝統が変わることに警鐘を鳴らす計画者のなかには、不幸な結果を招くと警告する者もいた。今にして思えば、その警告は悲劇的な機会損失のように思える。

1970年代、人々は初めて川沿いの低地に住宅を含む建物を建て始めた。ドビ・コラ川、サマクーシ川、ビシュヌマティ川、バグマティ川沿いに建物が建ち並んだ。

1986年のネパール政府及び米国開発庁(USAID)の報告書はこう述べている。「カトマンズが…最近になってようやく低地の氾濫原を占拠し始めたことは注目に値する」。

おそらく、ある程度の建設は避けられなかったのだろう、と報告書の著者は指摘した。しかし、それにもかかわらず、かれらはこの変化を非難し、深刻な問題を予測している。「これらの地域は洪水や高水位にさらされているため、代替地を奨励すべきである」と警告している。

カトマンズの環境問題を爆発的な人口増加のせいにする人もいるかもしれない。確かに人口は劇的に増加し、人々は土地やその他の資源を必要としている。しかし、この議論は間違った計画の言い訳にはならない。

カトマンズ盆地都市計画事務所とコンサルタントのチームが1986年に発表したネパール政府及びUSAIDの報告書では、川沿いの新規開発の多くが政府の責任だと非難している。ドビ・コラ川からテクまでのバグマティ川右岸に新しいビルが建設されていることを指摘し、「ここの状況は、ヴィシュヌマティ川沿いと同じくらい悲惨であり、責任は政府にある。保健省、道路局、固形廃棄物管理部門によって設立された施設は、かつて重要な社会文化的・宗教的地域であったこの場所の価値を台無しにしてしまった」。

報告書は、ラリトプルのバグマティ、コーダキー、ナクー、カトマンズのバグマティ、ヴィシュヌマティ、バルクー、サマクーシ沿いの低地を農業用地として保護するよう求めた。洪水のリスクは、建物は他の場所に移転すべきだということを意味していた。

「これらの「野菜ベルト」は肥沃であるだけでなく、水位が高く、水はけが悪い。したがって、都市開発には適していない…必ず問題が発生する」。

「氾濫原を農業のために保護することは、費用のかかる環境問題を避けるだけでなく、都市が拡大するにつれて、都市部全体に一連のグリーンベルトを維持することになる」。このような農家が管理する 「オープン・スペース 」が保全されなければ、ヴィシュヌマティ川沿いで起こったのと同じような環境破壊が起こることが予想される」と、報告書は川沿いのグリーンベルトを求めた。

「バラジュ/ゴンガブの氾濫原への拡大は抑制されるべきである。この地域が完全に保全されるには、あまりにも大きな負担がかかる。排水の問題があるため、非住宅用地として最適である』と報告書は特にゴンガブについて警告している。

この警告以降、この地域に建設された多層建築物の多くが2015年の地震で倒壊し、多くの死者を出した。地震のリスクは多くの要因によって決まるが、一般的に衝撃波は岩盤よりも氾濫原の柔らかい堆積物に大きなダメージを与える。

数十年をかけて洪水がますます深刻かつ多くの犠牲者を生むものになっている現在、1986年のUSAIDの報告書は先見の明があったように思える。悲しいことに、この報告書は今となっては、より良い方向に向かうための逃されたチャンスであるように見える。もしこの勧告の半分でも守られていたら、カトマンズは今どうなっていただろうか?

では、何をすべきか?

マドゥカル・ウパディヤは、今後さらに激しい洪水が起こることを警告する。「私たちは盆地の水文学を完全に変えてしまった。私たちはすでに時限爆弾を作り出してしまった…雨水は害を及ぼすことなく、狭く覆われた水路から流れ出ることはできない」。

私は専門家たちに、何ができるのか、何をすべきなのかを尋ねた。アジャヤ・ディクシットは「水文学の基本に立ち返り、ビジネスのやり方において水科学に耳を傾ける必要がある」と言った。

具体的には、彼は4つのことを挙げた:

  • 洪水のリスクの軽減は、治水よりも排水が重要である。
  • 河川には空間を与えなければならない。
  • 異常気象に対処し、それをよりよく理解するための手段が必要である。
  • 学際的な水教育に重点を置くべきである。

ウパディヤはまた、基本を見直すよう呼びかけた。「簡潔に言えば、池をいくつか作ったり、木を植えたりといったありきたりな活動ではなく、雨水を管理するための大規模なキャンペーンが必要なのです」。


著者のトム・ロバートソン博士は環境史家で、カトマンズとネパールの歴史について執筆している。ネパール語による連載シリーズ「Mitho Lekhai」はYouTubeで視聴可能。彼の最新記事「モンスーンと自然の算術(The monsoon, and nature’s arithmetic)」は、Nepali Timesの6月26日号に掲載された。

参照文献

Prajapati, R.; Raj Thapa, B.; Talchabhadel, R. “What Flooded Bhaktapur?” My Republica, 17 July 2018.

Bhatta, B., & Pandey, R. (2020). “Bhaktapur Urban Flood related Disaster Risk and Strategy after 2018.” Journal of APF Command and Staff College, 3(1), 72-89.

Y.P. Dhital and R.B. Kayastha, “Frequency Analysis, Causes and Impacts of Flooding in the Bagmati River Basin, Nepal,” Journal of Flood Risk Management 6 (2013): 257, https://doi.org/10.1111/jfr3.12013.

サムネイル画像:Alexey Komarov, https://web.archive.org/web/20161101032736/http://www.panoramio.com/photo/116178484, via Wikimedia Commons.

翻訳:石内良季


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