南レバノンにおける生命と戦争の季節:抵抗のエコロジーに関するインタビュー

 ムニーラ・ハイヤート

 『パブリック・スペース』2022年8月4日

原文リンク:Seasons of Life and War in South Lebanon: An Interview on Ecologies of Resistance

ムニーラ・ハイヤートの著書である「戦争のランドスケープ:南レバノンにおける抵抗と生存」(カリフォルニア大学出版)」の刊行を記念して*1、2022年6月22日にベイルートで編集委員のスィーンティア・イーサーは著者に面会し、著書と南部の住民が1948年から続く戦争と占領にどのように抵抗しているのか尋ねます。

ムニーラ・ハイヤートはアメリカン大学カイロ校で人類学を教えています。戦争のランドスケープは彼女の初の著作です。以下のインタビューは僅かな編集を経て整理されています。

どのようにこの本を子供を相手に説明しますか?

生活と戦争について、そして人々がいかに戦争を生き抜いているのかについて書きました。私は戦争を、遠く離れた所に住む知らない人々に降りかかるというわけではない居住可能な空間として分析しています。言わば、戦争をホームとして見なしているということです。ではどのように人々は戦争の中を生き抜いているのでしょうか? 日常的な課題は何でしょう? 戦争の中を生きる時、人々の不安は死と死にゆくことのみではありません。生き延びる方法を軸として考えると思いませんか? ですから、私の本は主に生活と戦争、いや、戦争の中の生活についてです。どうしてもこの二つを一緒に重ねておきたかったのです。

どうしてこの本を書こうと思ったのですか?

本書は自身の人生から産み出されたものです。私は戦争の中で育ったため、青年期の間はそれが通常の生活みたいなものでした。成長してから戦争がほぼ収束し世界に飛び立つと、様々な事に対する自身の観点が逆転しました。多くの人が戦争を逸脱的事象、例外、平和な通常の生活に相対するもの(平和がデフォルトですから、ね?)として捉えていました。ところが、私のような戦時中のレバノンに育った人にとっては、決してそうではなかったのです。私は1976年に生まれ、戦争はすでに始まっており、14歳になった年にやっと終戦しました。

私の幼少期の人生はこの環境を自然なものにしました。海外に出てから、普通の世界に直面しましたが、私にとってその世界は普通とは程遠く、元々当たり前だと思っていた世界からかけ離れていました。そのため、戦争について、いかに戦争が多くの人々にとって日常となっているのかについてどうしても書きたくなったのです。戦争を常態化したいわけではありません。しかし、いかに戦争が日常になって、非常に不運な多くの人々が何世代にも亘って戦争を生きるのか、人生を生きるのかを示したいのです。

どのように戦争と、その中の生活について学びを深めて本書を執筆したのですか?

戦争がレバノンでの私達の生活にまた降りかかって来た、2006年の七月戦争の終了後に本研究を実施しました。停戦後、南レバノンに赴き戦争下の生活に関する問いを探求しましたが、戦争についての質問はせず、生活について尋ねました。農業が盛んな国境地域である南レバノンでは、大地は生命が息吹く場所でありながら、戦禍を被る場所でもあります。そのため、生命と戦争を結ぶ枠組みとしてのランドスケープが戦争下での生活の研究の入口となったのです。

「戦争のランドスケープ」のサブタイトルに含まれる ”抵抗のエコロジー” は何を意味していますか?

抵抗のエコロジーは本書で取り組んだ鍵となる概念です。詩的な響きを感じ取ったのもそうですが、生存不可能な世界で生きることを強いられる生命が、一体となって生活にあまり適さない世界で生き抜く姿に感情を強く動かされたのです。そのため、私にとって抵抗のエコロジーはこの地球上で最も美しい場所である、牧歌的な農村地域である南レバノンと共鳴する概念です。歴史的なガリラヤ地域やジャバル・アーメルのように、肥沃な土壌が起伏ある丘に眠る、聖書のようなイメージを彷彿させます。南レバノンは国境の農業地域であり、オリーブの木、野草を喰む山羊、煙草、果物の木々、小さな家庭菜園、そして1948年から続く軍事暴力に蹂躙された世界で他の生命と遠に生き続ける人々が存在するのです。

南レバノンでの研究を通して苦労したことは、人々が互いに結ぶ関係性にとどまらずランドスケープと結ぶ関係性を論じる方法を探ることでした。ランドスケープは本書における大きな枠組みであり、生命が破壊の対象となる世界の中での生活の継続を可能にする全ての多様な要素を捉えます。”抵抗のエコロジー” はこれらの関係性を示します。私が抵抗と呼ぶのは、南レバノンでは運動としての抵抗とイデオロギーとしての抵抗が併存するためで、これらは多様な形態を取ります。抵抗をエコロジーの多元性と読み解くことで、それが多様で多角的であると知ることができます。エコロジーを考えるのは、エスノグラファーとして生活の中で出会う日常の実践から思考をスタートさせるという、非常に興味深く、飾り気のなく、フェミニズムの影響を受けた理論化の方法となります。このような些細な出発点から理論的な概念を生み出していくのです。ですから、私にとって、エコロジーは、南レバノンで生き延びるために人々が活用、想 創出、生活する関係性に基づく諸様式と深く共鳴するのです。

勿論、それは農業地帯を超えた範囲を捉える概念です。私は 国境を跨いだ、また占領下での人間間の連携に加えて、破壊された世界での生活を支える友情、血縁関係、様々な種類の支援関係なども調査します。この概念はベイルートや、大局的に見るとレバノン全体にも適用可能です。私たちはいつでも殆ど居住不可能な世界にいるのですから。ところが、人々は懸命に生活しています。どのようにでしょうか? 政治組織体制のレベルにおいて理解するのは難しいです。相互関係性、すなわちすなわち特定の空間やそれを超えて人々を結びつけるものに目を向けなくてはなりません。そうすることで、この相互関係性が実際に生命を維持するネットワークだと気づくのです。人々はいつもこんな質問を投げかけてきます。「ベイルートみたいな場所で人々はどうやって生活してるの?」そんな時、「じゃあ見せてあげるよ」という気持ちになりますが、そこで彼らに見せるものこそが私が抵抗のエコロジーと呼んでいるものなのです。

あなたは小文字 r の抵抗 “resistance” と大文字 R の抵抗 “The Resistance” の使用を分割し、抵抗を複数の形態と意味に拡大することで、この概念と運動の支配的な独占に異議を唱えています。複数的かつ連続的な形態を取る抵抗についてもう少し教えて下さいませんか?

これは私によく尋ねられる質問であり、自身の抵抗へ関与についてでもあります。この言葉を奥行きのある歴史の中で、社会的意義を持つよう整理し、いかにこの言葉とイデオロギーが大文字の抵抗の言葉で独占されているかを示すように努めています。この言葉を白か黒か、賛成か反対かのように捉えているのではありません。南レバノンのヒズボラは、人々が賛成しようがしまいが、もしくより大きな政治的プロセスにより否定することの出来ない重要な歴史を築いています。

また、レバノンの中のヒズボラはどこからともなく現れたのではないことを認識する必要があります。ヒズボラはその存立以前の地域における抵抗の歴史の積み重ねにあります。例えば、ヒズボラの軍事抵抗組織の上層部まで辿り着いたものの多くはパレスチナ人による訓練を受けました。そして、南レバノンの歴史は、抵抗運動に強く関与したコミュニスト達を筆頭にした他の分派や政治団体を含みます。また、サイダーでは1985年まで、南レバノンでは2000年まで続いたイスラエルによる侵攻と占領後にイスラム抵抗運動が出現しヒズボラに姿を変えたのも本当です。同様に確かなのは南レバノンでの占領の中で、ヒズボラが不均等な形の軍事抵抗であるゲリラ戦法を研鑽し、それによって破壊的な占領を追い払ったということです。これは彼らから奪い去ることのできない前代未聞の事件です。本当に素晴らしい勝利です。

この事件が地域でいかに政治的に展開しているかはこの本の中の私の主な関心ではありません。私が主張したのは南レバノンの抵抗は、分析的枠組みとして適切であり、政治形態として適当であり、そして人々が南レバノンでの自身の生活を合理化し理解する方法にとっても重要であるということです。シーア派であろうとなかろうと、ヒズボラは重要な政治的勢力です。それは政治組織としても、イランの傀儡かいらいとしても、サービス提供者としても説明しきれない存在でありながら、レバノンの誕生から南レバノンでは国家がおおよそ不在であるため、それら全てでもあるのです。ヒズボラも南レバノンの文脈から切り離されるべきではありません。

占領の中で、全ての人々がそれに反対するわけではありません。人々の中には「イスラエルがやってきた。本当に最悪だけど、どうやってこの状況をうまく乗り切ろう?」と考える人もいます。これが今の権力組織だから上手くやっていこうというように、多くの人が関係悪化を回避し過ごしました。また、多くの人が南レバノン軍に強制的に徴兵されました。無論、協力にはレベルがありますが、市井の人々のレベルでは、――それは私が調査をしているレベルですが――多くの点において抵抗は生き抜くことなのです。抵抗は常にサバイバルなわけではありませんが、多くの場合生き抜く行為であり、適切にやり過ごし大きな政治的(そして道徳的)問いを宙吊りにすることを必要とします。このような形態の抵抗運動を見る時、とりわけ抵抗とは何かを巡るイデオロギー的理解に尽力する人々が進んで認めるよりも多くグレーゾーンがあるのです。抵抗の手段は一つだけではないのですから。ヒズボラによる抵抗の独占への私のスタンスは端的にいうと、抵抗を独占してはいけないということです。現在、それは大文字の Resistance、軍事抵抗で、南レバノンでの支配的権力です。しかし、ヒズボラも異なる系譜と人々が日々実践する日常的な形態の抵抗を疎外することはできないと認めなければなりません。これはヒズボラも実際に認めているところであり、部分的にはその認識ゆえに彼らは成功しているのです。あるレベルではヒズボラはとてもイデオロギー的であり、別のレベルでは非常に実践的であり、それが強みなのです。

他の形態と並び、なぜ抵抗はジェンダー化された運動なのでしょうか?

私は南レバノンで様々な形態の抵抗を研究していますが、その中にタバコ栽培があります。タバコは資本主義的な換金作物であり、レバノン政府が独占しています。南レバノンでの生活の根幹にタバコがあるのです。では誰が南レバノンでタバコ産業に従事しているのでしょうか?女性です。なぜなら南部は戦争が行われていたため多くの男性が働き口を探すため移住したか武器を手に取ったからです。残ったのは女性と子供で彼女らはその地を耕しました。タバコは al-nabteh al-murra 「苦い作物」と呼ばれますが、 nabtit al-muqawameh 「抵抗の作物」とも呼ばれています。それは、その給料なしでは食べ物にありつくことができない最も脆弱な人々が生活しこの地に留まることを可能にしているからです。私の知る限り、南レバノンにおいてタバコの専売制はレバノン市民と国家をつなぐ接点である安定した基盤の一つでありそれはある程度成功しています。誰が利益を得るのかという点に関していえば、そのシステム全体は非常に不平等です。

しかし、その制度はタバコを栽培し独占者に販売するライセンス保持者にある種の収入の仕組みと規則性を与えるため、彼らはその土地に残ることができるのです。自給作物を植えて自分の家に住みタバコを育てれば、自身の家と土地に住み続けられるだけの収入を得ることができます。タバコの専売制は生活の維持を可能にし、多くの側面において権力を持たぬ人々へのエンパワメントに寄与してきたのです。とはいえ勿論、タバコ栽培には抑圧的な歴史も存在します。封建領主や zu‘ama (在地有力者)に管理され、その過酷な労働環境によって多くの抵抗運動が生まれてきました。しかし、見た目よりも規模が大きく、当分のうちは簡単に解決されない紛争に巻き込まれている地域において、タバコ農業は最も脆弱な人々が現地に定住し続けることを可能にしてきたのです。タバコの労働はジェンダー化されています。それは女性による仕事であり彼女らは仕事を通して自律・自活するのでタバコ農業はジェンダー化された抵抗と捉えることも可能です。

戦争に関する言説における、私たちが近年、ウクライナの文脈で良く見かけるような、通常のリベラルのヒューマニズムに基づく怒りや人種化された道徳を超えて、どのように 南 [the South] (南レバノンとグローバルサウス)から戦争を違った形で捉えようとしていますか?

この質問は素晴らしいですね。私が本書の中で最も重要と考える貢献、つまり北のパラダイムを超えて南から戦争を理論化するということを語らせてくれる質問だからです。あらゆる側面において、第二次世界大戦はグローバルノースにおける全ての戦争を終わらせる戦争でした。彼らが終戦を迎えたとき、敗戦国は敗戦国、勝利国は勝利国となって、基本的に勝利国が私たちが現在グローバル秩序と呼ぶ体制を構築したのです。

勝利国にとって普遍的になったのは「平和」であって「戦争」は野蛮人や未開人によって引き起こされた逸脱状態になりました。彼らはこの状態を「冷戦」と呼びました。なるほど、いいでしょう。アメリカやヨーロッパにとっては冷たい戦争だったかもしれませんが、私たち南の人間にとって、例えばレバノンにおいては煮えたぎる熱さの戦争でした。私が生まれ育ったベイルートは冷戦の舞台の一つでしたが、そこでの内戦は冷戦下の火花の飛び散る戦いでした。勿論、これはレバノンで発生したことの唯一の説明にはなりませんが、冷戦の両極陣営は内戦の様々な派閥に資金を援助し武器を供与していたのです。

戦争は決して終わりがあるものではありませんでした。終戦することができたのは戦争を巡る理論を支配してきたもの達だけでした。そのような理論家は往々として戦争を出来事、暴力的な出来事と、そしてその渦中の人々を「未開」や「野蛮」と捉えました。出来事として理解される戦争は終了するものであり、仮に発生してもそれは例外的なものとなります。ところが、南からすると、戦争はしばしば常態化し、決して終止符が打たれるものではありません。戦争は私たちが命を落とすだけのところではありません。戦争下を生きるとき、私たちは一瞬一瞬を重ねて生活しているのです。死は誰でも避けようとするものなので、見据える先は生きぬくことになりますよね? それでは、どのように戦争を生息地として考えることができるのでしょうか? 私はこの問いによって、所謂「例外」と見なされる人々が生活を営み続ける致命的な空間を、資本主義のようなプロセスと並べ、国民国家のロジックの中で理解する必要があると示したいのです。資本主義と国民国家は私たちが正常化した結果、暴力的に見えなくなった暴力の形態なのです。

南から眺めると、戦争は往々にして継続中であり決して終わるものではありません。戦争を南から考えることは資本主義と国民国家の生成に疑問を呈します。そして、私たちを暴力に溢れた世界で生きる方法しか知らない野蛮人と受け入れなければ理解できない支配的概念としての戦争を押し退けます。

戦争を資本主義と国民国家と並べて考えると、戦争が資本主義に内在化されるものであり、国家の主要な柱であると気づきます。ではなぜ私達は、これらの制度の拡大に不可欠であるのに関わらず戦争を例外的なものとみなしてしまうのでしょうか?このように戦争を考えることは資本主義と国民国家を問い正します。つまり、南から戦争を捉えるとき、私たちには納得できない支配的な戦争の概念を却しりぞけているのです。その概念を理解できるのは、私たちが戦争と暴力を受けるに値し暴力の溢れた世界で生きていく方法しか知らない野蛮人であると受け入れた場合においてのみですが、決してそんなことはないのです。

あなたは以下のように書いています。「私は手探りで理解しはじめた。様式、行動、傾向、感触、リズム、性向、愛情、食事、禁止、想像、欲望、恐怖にみえるものに鋳造される特徴を。それらがやっと私の前に姿を現した。この場所の特有さを解きほぐし編成させた。」あなたの文章には深く煌びやかで感情を揺さぶる焔があります。あなたはこの本が異なるフォーマット、例えばSFのような形になりえたと思いますか?

素晴らしい質問をありがとう。私の夢の生活は作家になることです。アカデミアになるのはバックアップ戦略でしたが、今では生活のほとんどを費やしています。有難いことに人類学では詩的に書くことが可能です。ですから、この質問に対する回答は二つに分かれています。私が行ったことと私が行えばよかったと考えていることです。本当の物語を伝えることを土台とする民族誌を書き始める時、場面を詳述し登場人物を創造し語りを結びつけることで実際のものよりも現実味が増します。何度も何度も書き直しますから。書くことを通して、自身の経験について考えました。作者は時折、書く時に詩的逸脱をすることがあります。当然、人類学において個人を識別できる情報を隠す必要があるため、私が作り上げた登場人物は実際の人々に基づいていますが、その人自身ではありません。彼らが誰か私は知っていますが、彼らを本の中の登場人物として考えてしまいます。本の中の登場人物とのほうが友人でもあるフィールドで出会った人々より長い時間を過ごしたからです。しかし、彼らを書くことで培われる親密さや彼らに関する知識は執筆を通じて得られたものに他ならないのです。

作られたものという意味においてフィクションである部分が常に存在します。これが人類学の文学的転回が示唆したこと、つまり全ての形態の文章はフィクションであるということです。それはあなたが書いたものは創り出された客体となるという発想です。当然、その中に真実はありますし、幸運なことに私はそのようなやり方を許容する学問に身を置いています。私が自身の作品の親密さについて主張するのは知識は親密な空間から生まれると強く信じているからです。「それはとても主観的ですね。どうしてそれが科学なのですか?」などと言う人もいますが、全ての科学が主観的です。最も抽象的な数学の概念でさえ生きて呼吸をし屁をこき排便をする頭脳から生まれその外側には何一つ存在しません。そのため民族誌はフィクションの形態なのです。私もですがそれを書くことは非常に魅力的で理想化してしまう可能性があります。しかし私は人間性に光を当てるために理想化するのです。これは策略です。読者が共感するのはもはや戦争地に住む野蛮人ではない他者、つまり関心を持ち自己を投影できるような人々なのです。

現在、私がやりたいことは理論を介さずに書くことです。勿論、全ての文章に理論は内在します。しかし、学術的な文章では理論を明確化しなければなりません。議論に参加しなければなりません。対話こそが学術であるためです。自分の介入は何か明確にして既存の文献を引用しそれに変化を加える必要があります。とりもなおさず既存の議論に影響を残す必要があるのです。そんなことを減らすことができれば良いなと思います。この一作目の著作の後は純粋な小説を書きたいです。勿論、小説はただのフィクションではなく常に世界との関係とその分析です。現在、この場所の生活に関する小説に取り組んでいていつか完成することを望んでいます。どんな結果になるか楽しみです。

翻訳:Yukisato Azai

© 2026 The Public Source, republished under the consent by the Author.

公開日:2026年10月4日

*1 注釈:翻訳時の2026年6月10日時点で、既に本書は刊行されています。(以下は著作の目次)

  1. Introduction: War, From the South  (序章 南からの戦争)
  2. A Brief History of War in South Lebanon (南レバノンにおける戦争の歴史の概観)
  3. Battle/field   (戦/場)
  4. The Bitter Crop  (苦い穀物)
  5. How to Live (and Die) in an Explosive Landscape (どのように爆発する景観の中で生活し(命を落とす)のか)
  6. Maskun, or Nature’s resistance (マスクーン、自然の抵抗)
  7. The Gray Zone (グレーゾーン)
  8. Conclusion: LIFE AS WAR  (終章 戦争としての生活)
  9. Coda: A MARRIAGE IN GALILEE  (結び:ガリラヤでの一組の結婚)

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