『石を投げれば届く距離』上映会+トーク イベントレポート
ひろもとななこ
2月20日(金)、3月14日(土)にそれぞれ京都と東京にて、『石を投げれば届く距離』(ラザーン・アルサラーフ監督)の上映会とトークイベントを開催しました。両日とも、満席のご予約をいただきました。お越しくださった皆様、本当にありがとうございました。

京都・誠光社での上映会の様子
『石を投げれば届く距離(原題:A Stone’s Throw)』は、昨年10月に開催された山形国際ドキュメンタリー映画祭のアジア千波万波部門にて上映された作品です。監督のラザーンさんはパレスチナ出身、カナダ・モントリオール在住の映像作家で、植民地的イメージの世界における土地や人々の消失/出現についての物質的な美学を作品の中で取り扱ってきました。本作も、レバノンに住む監督の父・アミーンさんへのインタビューを中心に、彼が出稼ぎしていたジルク島、その土地を占領する石油産業、かつてのパレスチナでの抵抗運動など、時代や場所を横断したポエティックでラディカル、実験的な映画作品になっています。
初めてこの作品を見たのは、私がスタッフとして働いている山形国際ドキュメンタリー映画祭での上映が決まる何ヶ月も前でしたが、「絶対に船と風の企画でやりたい!」と思ったことを覚えています。「気候変動/危機」と「植民地主義」というのはとても深く結びついている問題でありながら、双方を同時に取り上げた映像/アート作品は、そうあるべきほどには、多くないように思います。
上映後のトークについて
上映後は、船と風メンバーによるトークを行いました。中村さんから歴史的背景の説明、イスラーム世界の環境倫理を研究している中鉢さんによる解説、宮坂さんによる現在のアクティビズムとの結びつきなどがトピックにあがりました。
<植民地主義とパイプライン>
映画の中に、一枚の写真が登場します。海へと伸びる1930年代のキルクーク・ハイファ間パイプラインの様子です。パイプラインの終点であるハイファの浜辺で、クーフィーヤ(アラブの伝統的なヘッドスカーフ)を纏った、パレスチナ人と思われる人々がパイプラインの周りを囲んでいます。

作中では、アミーンさんがこの写真を見ながら、1930年代にパレスチナの人々によって行われたパイプラインの爆破、そして抵抗運動について語っています。ラザーン監督と一緒に画面上の写真を見ているのか、写真の画像は、自由自在にズームされたり、縦横に移動していき、鑑賞者の視点を次々と変化させます。そして、極限までズーミングされた写真の中の海は、もはや何だったのか判別できないほど荒いピクセル画面になってしまい、それに続いて、ジルク島の自然保護に関するビデオに登場する海が現れます。全く異なる文脈で使われている同じ海。それらがモンタージュで繋げられることで、ラザーン監督も指摘していたことですが、もともとのイメージの「脱文脈化」が起こっているように思います。[i]

キルクーク・ハイファ間パイプラインとは、1932年から34年にかけてイラクからパレスチナのハイファにかけて建設された、中東で初めての大規模な石油パイプラインです。イラクにおける石油の存在は長く知られていましたが、開発が始まったのは、イギリスの委任統治下であった1925年で、イギリスとアメリカの石油資本によってイラク石油会社(IPC)が設立されたことからでした。他の地域での石油の利権を守りたかった英米の石油会社は活発な開発には乗り気ではなく、開発を遅らせようとしていました。しかし、イラクの現地政府は、それが貴重な収入源であったため、開発を進めたかった。英米管理下のIPCとイラク政府との交渉は続きましたが、1931年に改訂されたコンセッション契約(政府が公共サービスや資産の運営を民間企業に一部委ねる仕組みの契約)ではイラク政府の権利が大幅に剥奪され、欧米の石油会社がイラク石油からの利潤を独占する体制が整えられました。キルクーク・ハイファ間パイプラインの建設が始まったのは、そのようなタイミングでした。
このように、パイプラインや石油インフラは、欧米諸国が植民地支配を行う上で非常に重要な役割を果たしてきました。そして、その重要性はパレスチナやイラクの抵抗勢力にも認識されていました。パレスチナにおいては、映画でも触れられている1936-39年のアラブ大反乱の頃からアミーンさんも所属していたPFLP(パレスチナ解放人民戦線)による1960-70年代の闘争まで、パイプラインは幾度も抵抗運動の爆破や襲撃の対象になってきました。

東京・さわさわでの上映会の様子
<現代の石油と植民地主義:Enegy Embargo Movement>
2023年以降、苛烈化したイスラエルによるジェノサイドの最中、そのジェノサイドを可能にしているエネルギーシステムに対する批判が高まりました。そこで活発になったのが、禁輸運動(Energy Embargo Movement)です。この運動は、イスラエルに、爆撃や侵攻の稼働力となる石油を運ぶパイプラインなどのエネルギー供給のサプライチェーン、そしてそこから利益を得ている国家や企業に対して、虐殺に加担する行為を止めるように求めるものです。
船と風は、日本国内でその呼びかけに応答しました。詳しくはこちらの記事をご参考ください。
バクー・トビリシ・ジェイハン(BTC)石油パイプラインはアゼルバイジャンからジョージア、トルコを通っているパイプラインで、そこから船によってイスラエルに石油が運ばれています。このパイプラインには、伊藤忠、BP ジャパンといった企業が株主出資をしているという事実があり、オンライン上で署名を集め、企業に要請書を提出しました。
また、2024年、COP(198か国・機関が参加する気候変動に関する最大の国際会議)がアゼルバイジャンのバクーを会場に行われたタイミングで、イギリスやフランス、トルコなど世界11カ国で、BTCパイプラインが通っているアゼルバイジャン大使館前とトルコ大使館前で抗議が行われました。日本でも船と風の呼びかけでアクションを行いました。
このように、石油・エネルギーの植民地主義的なシステムというのは現代にも強く受け継がれています。実際、ジルク島の開発にも日本企業のINPEXの子会社が1970年代頃から関わっているなど、私たちの暮らしは、一見そうは見えなくても、このシステムと深く結びつき、搾取や虐殺へと加担しています。そしてそれは、気候危機の加速をもたらし、地球規模で様々な生命を脅かし続けている現状があります。
上記に挙げたオンライン署名の趣旨にも書かれている通り、これは「グローバルサウスの人々の生命を軽視し、そこから資源や富を収奪しつづける経済・政治・軍事システム」によって可能になっていることを理解する必要があります。[ii]
さいごに ー繋がる海、繋げる海ー
この映画では、オープニングとエンディングで海の音が聞こえてきます。映画の中で頻繁に出てくる地図の上で、陸地にざくざくと線が引かれていくのとは対照的に、海は、その傷を癒すように、あらゆる土地を繋げてくれているように私は感じました。
しかし、そうあるべき海の真ん中に突然現れるのがジルク島に建設された石油企業の巨大な施設です。Googleマップの映像を通して私たちに突きつけられるのは、不自然に分断させられた海や、企業や政府のグリーンウォッシングに使われている見せかけの自然です。それでもラザーン監督は、帰ることのできないはずのハイファの海辺に、映画という媒体を使ってアミーンさんを歩かせようとしています。私たちを支配し、コントロールしようとするまさにそのイメージを使って抵抗する、本当に美しい一本の作品だと感じました。
この作品では、デジタル・アナログを問わず様々なメディアが使用されています。そのなかで使われているフィルムの映像は、フィトグラム(Phytogram)という手法を用いたものがあります。植物などを直接フィルムに焼き付ける現像技術ですが、ここにはカナダに住むラザーン監督の甥っ子が拾った海藻が含まれているそうです。一度は引き裂かれた彼ら/私たちが、再び海によって、世代と距離を超えて結びつこうとする試みがなされているように感じました。
何より大切なのは、これを「美しい作品だ」と言って終わることではなく、もっと知ろうとすること、それを人と話し、行動に移していくことです。今回の上映会が、少しでも訪れた方にとってそうした機会を与えられていたら幸いですし、これからもこうした活動を続けていきたいと思っています。

東京・さわさわの庭先、オリーブの木
京都の誠光社、東京のさわさわの皆様、東京の会場にて英語通訳をしてくださったレンさん、山形国際ドキュメンタリー映画祭の皆様、そして一緒に上映会を運営してくれた船と風のみなさん、本当にありがとうございました。
これからも『石を投げれば届く距離』の上映会をはじめ、様々なイベントを企画予定ですので、ぜひ引き続きSNSなどをチェックしていただけますと幸いです。
[i] 山形国際ドキュメンタリー映画祭 ラザーン監督への公式インタビューより
[ii] 東京会場では、質疑応答の時間、会場から鹿児島県にある馬毛島についてのコメントがありました。
もともと無人島だったこの島は、現在、アメリカ軍、そして自衛隊の軍事基地として島全体で建設・整備が進んでいます。映画の中に登場するジルク島と同じように「中心」から遠く離れた場所で、外国人など、立場の弱い労働者の搾取が行われている点や、一般の人々がそれについて語る手段が奪われ(カメラや記録媒体の持ち込み禁止など)、政府や企業にとって都合のいい言葉ばかりが社会に蔓延するしかない状況など、双方に通じる共通点があります。
ジルク島とパレスチナ人のアミーンさんの物語や、こうした馬毛島の状況は、現状の経済・政治・軍事システムといったものが、環境問題だけではなく、労働問題、格差や人種差別など様々な要素が絡み合った、複合的で国際的な問題でもあることを示しています。
