マス・ウェイスティング
ウガンダにおけるごみ埋立地の崩壊と廃棄物の政治
アンセルム・キッザ=ベシジェ(Anselm Kizza-Besigye)
『The Weganda Review』2025年10月27日
原文リンク:https://thewegandareview.org/mass-wasting/
訳者前書き
ウガンダ――東アフリカに位置し、アフリカ最大の湖ビクトリアを南に抱くこの内陸国では、1986年、長年の内戦を経てヨウェリ・ムセベニ率いる国民抵抗運動(NRM)が政権を掌握した。以来40年にわたる同政権のもとで経済成長が進み、その首都カンパラはウガンダの政治・経済・文化の中心として急激な都市化のなかで膨張し続けている。
本エッセイが主題とするチテージ(Kiteezi)という地区は、大カンパラ都市圏の近郊、都心から15kmほどの地点に位置する。この地は首都における廃棄物の最終処分場としての役割を一手に引き受けてきた地であるとともに、多くの人びとが暮らす新興の住宅地でもあり、さらには廃棄物からリサイクル可能な物質を収集する多くの人びとが働く場でもあった。

2024年8月のある土曜日、カンパラ郊外のごみ埋立地が崩壊し、数十もの人びとがわずか数秒のうちに廃棄物の雪崩に埋められた。チテージ――隣接する労働者階級の居住地区の名に由来し、広がりゆくこの埋立地自体がその居住地区の輪郭を形づくっている――と呼ばれるこの廃棄物の塊は、崩壊以前から数週間にわたって徐々に動き続けていた。季節外れの嵐はカンパラとその周辺地域に大量の降雨をもたらしていた。通常ならば9月まで始まらない雨季が、例年より早く、かつ激しく到来し、8月の間にウガンダ全土で2万5千人以上を避難させるほどの洪水を引き起こした。こうした不規則な降雨は、ウガンダで最も貧しい地域を飢饉に近い事態に陥れたが、それと同時に、埋立地の広大な一区画をつなぎとめていた結束力を低下させていた。その力が限界を超えた瞬間、固形廃棄物の地滑りが始まった。
その日の早朝、埋立地の近くに暮らす多くの人びとがまだ眠っていたとき、くぐもった雷鳴にも似た、信じがたいほどの轟音がチテージ一帯に響き渡った。地滑りの最中、物理法則は宙吊りになる。固体が液体のように動き出し、轟く滝のような音とともに突然の雪崩と化したのだ。うねる地鳴りが徐々に収まると、早朝からいち早くくず拾いにやってきていた労働者たちの悲鳴が響き渡った。彼らはパニックに叫び、あるいは仲間に向かって叫びながら、散り散りになって走った。その最中、埋立地のさらに大きな一角が崩れ落ち、ふたたび背筋の凍るような轟音が一帯を震わせた。
地滑りから4日後に『デイリー・モニター』紙に掲載された証言によれば、労働者の一人であるレヘマ・ムハンマドという女性は、安全な場所に逃げようとしたとき、左足が埋立地を覆う黒ずんだ泥の中へ沈み込んだという。発見されるまでの数時間、彼女は命の危険を感じながら、その場で身動きもとれずにいた。救出作業は数人がかりで2時間半以上を要する困難なものとなり、彼女の脚には一時的な麻痺が残った。多くの人、とりわけその日に瓦礫と化した家屋の中で眠っていた人びとの多くは、救われることはなかった。一帯を冠水させる降雨に阻まれながらも遺体の捜索を開始すると、その破壊のすさまじさを人びとは初めて目の当たりにした。この地滑りで少なくとも35人が亡くなり、うち12人は子どもだった。数頭の牛や犬、ヤギ、ニワトリも命を失った。今もなお11人が行方不明のままだ。彼らの遺体はおそらく埋立地に飲み込まれたのであろう。そこは今や、集団墓地ともなっている。
*
チテージの地滑りに対する政治的応答は、予想可能であると同時に、構造的な病理を浮かび上がらせるものであった。地滑りの翌日、「ニュー・ビジョン」紙はヨウェリ・ムセベニ大統領の声明文を掲載した。その中で大統領は、大惨事の被害者が誤ったときに誤った場所にいたことを理由に、彼らを責めた。「チテージのごみ山(orubuungo)の一部が崩壊(kubeguka)した結果として」[1]亡くなった人の家族に哀悼の意を示したのち、大統領はこう述べた――「まず頭に浮かぶ問いは、誰が、これほど潜在的に危険なごみ山の近くへの居住を許可したのかというものである。崩れ落ちて人びとを埋め尽くさなかったとしても、ごみ山から染み出す汚水(ejyurigyiriro)だけでも健康への害は避けられない」。ごみ山の近くに住むことを選んだ被害者たち自身が、自らの命を危険にさらしたのだと彼は示唆した。「かつての伝統的な牛糞・家庭廃棄物の堆積場(emuungo)もそれ自体すでに十分に危険であった。その構成が主に有機物であるという事実は、危険性を和らげるものではない。そうしたごみ山の下方での居住は、染み出る汚水(ejyurigyiriro)を理由に一切認められてこなかった(中略)プラスチック等に満ちたチテージのごみ山は、それよりどれほど危険であることか」。ムセベニは、糞尿や家庭ごみを家屋の下方の地面に廃棄するという「土着」の慣行に言及することで、農民でさえもそのような埋立地の隣に住むべきではないことを知っており、(ムセベニ自身ではない)誰かが、人びとに居住の継続を思いとどまらせるべきであったと示唆した。つまり、地滑りは防ぐことのできた事故であり、この悲劇は「危険な地域」を避けるべきということを「ウガンダ人に教育する」機会となるべきだ、というのである[2]。
国家の目から見ればこの地滑りは、廃棄物を必要としない都市中心部から廃棄物があるべき場所である周縁地域へと流れる、本来は円滑なはずの廃棄物の流れにおける逸脱の結果であった。ムセベニが描写したように、問題はごみの流れが十分に閉じられていなかった点にある――廃棄物だけが置かれるべき場所に人びとが立ち入り、居ついてしまったのだ。政府はこの失態の責任を、カンパラ首都局(Kampala Capital City Authority, 以下KCCA)の指導者たちに転嫁した。KCCAは2010年の設立以来、廃棄物の管理を含む最も基本的な公共サービスの提供を監督してきた官僚的な行政体である。一部の指導者たちは即座に解雇され、複数の過失致死罪で起訴された。
政府批判者の多くにとって、解雇と起訴は政権による贖罪の儀式に過ぎなかった。その儀式において、政府内の多くを巻き込む犯罪の責任を一部公務員や大臣が軽微な形で負わされることで、政権そのものは責任から免れる。風刺漫画家のジミー・スパイアは、ムセベニが失墜した指導者たちをKCCAのロゴが入ったごみ箱に文字通り投棄する場面を描き、この政治的茶番を風刺した。その風刺画でムセベニは忠実な太鼓持ちである国民議会議長アニタ・アモンの隣に立ち、「私も時にはごみにうんざりする」と皮肉を込めて言い放っている。
政府と同様に、その批判者たちもまた地滑りを逸脱的な出来事として捉える傾向がある。しかしながら彼らの目には、この悲劇をもたらした失態の責任はKCCAを越えて広がるものとして映っていた。例えば地滑りから数日後、野党党首ジョエル・セニョニは国民議会において、この地滑りはKCCAと政府双方による「明白な怠慢」であると主張した。その2週間後、3人の女性たちが身体に様々なスローガンを書き裸のまま議事堂前で抗議し、この国家的失態の問題を街頭に持ち出した。1人の女性の身体には「チテージは防ぐことができた」「アニタは辞任せよ」と書かれており、この災害と〔アニタ・〕アモンを当時苦しめていた汚職スキャンダルとの結びつきを強調していた。このように、政府とその最も積極的な批判者たちの双方の目から見ても、地滑りはある特定の原因――監督不行き届き、怠慢、汚職――によるものだとされた。これらすべての説明は、究極には同一の幻想の上に成り立っている。その幻想においてチテージは、あらゆる埋立地と同様に、合理的に組織された廃棄物管理システムによって廃棄物が人間の世界から絶対的に切り離されるべき場所として想像されている。もし何らかの理由で、人だけがいるべき場所に廃棄物が行きつくならば(あるいは、廃棄物だけがあるべき場所に人が行きつくならば)何かが間違っているに違いない、というわけだ。
様々な行政機関、とくにKCCAが、より慎重な管理によって埋立地の崩壊を防げた可能性は高い。しかしチテージの現実は、「閉じた廃棄物の流れの終着地点」という幻想に、一度として対応してはいなかった。長年にわたり、国家が主導した多くの介入が目指してきたのは、カンパラの廃棄物の流路をチテージへ向かう一方向的な流れへと転換することだった。人間の世界と廃棄物の世界のいかなる混交をも最小化ないし禁止する、合理化された流路として。しかし、密閉された廃棄物の流路[3]という幻想を維持する政治的・経済的・空間的条件こそが、まさにその実現を不可能にする理由である。地滑りへの対応は、さまざまな形態での不適切な管理と怠慢に責任を押し付けることでこの矛盾を解消してみせるが、それにもかかわらずこの地滑りは、公式の廃棄物管理システムとその可能性の条件とのあいだの不均衡を、否応なしに浮かび上がらせた。つまり、チテージの地滑りはまた、ウガンダにおける政治権力の脆弱な土台と資本主義的生産の廃棄物幻想をも暴露したのである。
*
監督不行き届き、怠慢、あるいは汚職という形をとるにせよ、なんらかの失敗に焦点をあてて地滑りを説明する図式は、数百もの人びとを災厄に対して脆弱な状態に留めた政治経済的な力学を見落とす傾向にある。こうした力学を理解し始めるためには、都市計画の埒外にあるインフォーマルな投棄場としての起源から、公務員、民間の廃棄物管理会社、公的/民間の衛生労働者、そしてインフォーマルな廃品回収者を結びつける都市全域の廃棄物管理システムの終点という現在の役割に至るまでの、チテージの歴史を辿らなければならない。
チテージの埋立地の歴史は、多くの点において同時に、過去30年にわたるウガンダの政治的・経済的変容の歴史でもある。ムセベニ率いる国民抵抗運動(NRM)が政権を掌握した時、彼らが引き継いだのは、複数の反政府勢力によって争われた政治情勢と、数十年にわたる政治的暴力の傷跡が目に見えるかたちで刻まれた首都であった。この新生政権が直面したのは、正統性をいかに構築するかという課題だった。当時のウガンダは対立を数多く抱えながら、それらを調停する制度を欠いた国家だった。当時、カンパラの廃棄物管理に責任を負う行政当局は存在しなかった。首都でのサービス提供を担う多くの公共機関が事実上の機能不全に陥っていたこと、そして廃棄物管理がそれまで深刻な行政上の問題を引き起こしてこなかったことが、その理由である。カンパラの住民は、階級や居住地域を問わず、都市を取り囲む湿地帯に点在するインフォーマルな投棄場にごみを捨てる傾向があった。しかしNRM政権の初期において、廃棄物管理の問題と民衆からの正統性の問題はともに、政権による政治的・行政的な打算と試行の対象となり、都市における政治と廃棄物管理の双方の状況を変容させていく。
NRMは最初の数年において、前政権との差異化を押し出すことで正統性と分断された領土への支配を確立しようとした。前政権の統治は、高度に中央集権化され、民族的に階層化された家産制国家に依拠するものであった。1988年以降、NRM政権は参加型民主主義と地方分権化という野心的な実験を開始した。この実験は、ゲリラ戦期に反政府勢力が構築した「抵抗評議会」制度を基盤としている。NRMは、村、地区、準郡、郡/市、県のレベルに地方評議会を設置し、成人居住者による直接選挙を導入した。一部からは懸念の目で見られたものの、地方評議会はNRMの政治的支持の重要かつ持続的な源泉となった。それは主として、犯罪の取り締まりや生活必需品――砂糖・塩・石鹸・灯油――の配給という任務が、地方評議会に委ねられたためである。1995年の新憲法、1997年の地方行政法の制定を経て、地方評議会の役割はさらに広がった。サービス提供や財政行政にとどまらず、地域の政治問題の調停をも担うようになったのだ。その後まもなく、地方評議会はNRMによる支配の定着と中央集権化を推し進める回路となっていった。多くの批判者は、地方評議会とそれがかつて象徴した地方分権的民主主義の約束をまやかしとみなすが、地方評議会は依然として重要な政治制度であり続けている――カンパラを除いては。ウガンダの「民主主義」(この表現を用いるのは憚られるが)を統治する規範に対するカンパラの例外的な地位は、これから見ていくように、廃棄物管理の問題と直接に結びついている。
NRM政権初期にカンパラの人口は急増し、それとともに廃棄物処理の課題も膨らんだ。2000年に法律として成立した地方政府/カンパラ市議会(廃棄物管理)条例は、カンパラの廃棄物を取り締まる最初の試みであった。都市人類学者ジェイコブ・ドハティが、カンパラの廃棄物管理システムについての優れた民族誌である『廃棄物の世界(Waste Worlds) 』(2022)で論じているように、この法律が目指したのは、「埋立地を起点に、市内のすべての家庭、職場、街路を通過し、さらに廃棄物となりうる市内のあらゆる物質を覆うまでに拡張する、密閉された廃棄物の流路」を創出することだった。
そのため条例は、廃棄物を処分する一般的な手段(野焼きやインフォーマルなごみ山への投棄)を禁止し、固形廃棄物は「衛生的な埋立地」においてのみ処分されるべきと規定した。条例はチテージの埋立地を明示してはいなかった。チテージは1996年からすでにインフォーマルに操業しており、やがて事実上の市営埋立地となる。それにも関わらず、2000年から2010年にかけてカンパラ市評議会(法的にKCCAとなる以前の市行政当局の名称)は、業務委託と契約に基づく民営化された廃棄物管理システムを構築することで、カンパラの固形廃棄物管理システムを家庭からチテージへと向かう密閉された流路へと変換しようとした。このアプローチの成果は惨憺たるものであり(廃棄物収集率はわずか40%前後に留まった)、当局の都市管理能力に疑問を投げかけるものであった――前年にエリザベス女王の訪問を見越して300万ドルを都市景観整備に投資したにも関わらず、「ニュー・ビジョン」紙のある記者は2008年までにカンパラを「ごみの山」だと宣言していたのである。
カンパラの廃棄物問題に対処する市当局のこの無能さは、首都に対する民主的な統制を浸食する重要な口実となった。NRM時代の最初の地方選挙以来、カンパラはNRMと対立する政治家たちによって運営されてきた。これは常にNRMにとっての脆弱な点であり、行政機構を通じた利権の集積の機会を逃し続けてきた箇所でもあった。廃棄物管理のようなサービスを提供するKCCAの無能さは、NRMが都市の支配を取り戻す格好の口実となった。この無能さは累積する債務の結果であり、野党指導者たちによれば、中央政府による資金不足を通じた妨害工作の結果でもある。かくしてカンパラは恒久的な例外空間へと変えられていく。2010年、選挙によらない政治的被任命者からなる機関であるKCCAの設立を通じて、国民議会はカンパラの地方行政の最も重要な行政機能を中央集権化した。カンパラ市長エリアス・ルクワゴは政府の批判者であり都市貧困層の擁護者であったが、ドハティの言葉を借りれば「大統領によって任命された執行役員であり、権限を持たない儀礼的な対立者」へと成り下がった。
権力を横取りしたKCCAのテクノクラートたちにとって、廃棄物問題は自らの民衆的正統性の欠如に対する解決策を提供するものであった。KCCAは最初に、廃棄物除去と都市再生の公開パフォーマンスを演出した。こうした維持管理の行為は、都市の領域とその権力の地勢を再編し、新たな形態の政治的・経済的支配を可能にした。注目すべきことに、この維持管理による政治の最大のコストを負わされたのは都市貧困層であった。KCCAの「キープ・カンパラ・クリーン」計画が、民衆の生計手段の犯罪化を強めたからである。ドハティが指摘するように、「新体制のもとでは、廃棄物〔というカテゴリー〕のなかにはごみだけでなく人間をも含まれるようになった」。
市内における公式の廃棄物収集を拡大することに成功したにもかかわらず、KCCAの介入は条例が描いた「密閉された廃棄物の流路」という構想を現実のものにすることはなかった。KCCAの廃棄物管理戦略は、市内の低所得地域では自前の廃棄物除去能力を活用し、富裕層には民間業者との契約を求めるというものである。都市の空間的な階級間の格差を刻み直すこの分業体制は、廃棄物収集をめぐる利益獲得の機会が市内に絶えず生まれ続けることによって成立している――KCCAの限られた予算と技術的能力では、市全域にサービスを提供することが到底できないからだ。その空白を埋めるのが、民間廃棄物会社と――決定的なことに――個々の廃棄物収集者たちであり、彼らの存在によって脆弱なカンパラ市の廃棄物管理システムはその限界を超えて機能している。グローバル・サウスの多くのインフラシステムと同様に、カンパラの廃棄物管理システムはインフォーマルな都市インフラと廃棄物収集の慣行に依存しているのである。
これはチテージ埋立地において最も明らかである。法律は、「ごみ漁り(scavengers)[4]を排除することに責任を負う」認可事業者による埋立地の監督を義務付けているが、実際にはこれらの「ごみ漁り」によって円滑化されるリサイクル品のインフォーマルな取引こそが、埋め立て地の機能を支えている。市内からチテージに廃棄物を運搬する公認の衛生労働者たちは、収集場所間を移動する際にリサイクル可能なプラスチックを集め、大袋に詰めて埋立地近くの業者に売ることで、わずかな賃金を補っている。他方、埋立地そのもので働く数百人のごみ漁りたちは、毎日何トンもの非生分解性の廃棄物を回収することで埋立地の寿命を延ばしてきた。言い換えれば、リサイクル品の非合法な取引と公式の廃棄物管理システムの間には、相互依存的な共生関係がある。ドハティは哲学者ミシェル・セールを引用しながら、この寄生的な共生を、カンパラの廃棄物管理システムが「機能しないがゆえに機能する」ことの証拠として読み解く。
以上のことが示唆するのは、国家とその批判者たちが主張するように、チテージ埋立地の地滑りがもたらした悲劇的な結果を何らかの失敗に帰することは不正確だということである。ごみ漁りを埋立地から十分に遠ざけることに失敗したためであれ、一部が主張するように新たな埋立地の建設を発注しなかったためであれ、KCCAの怠慢が地滑りの決定的な原因であったという主張は、廃棄物管理システム全体がある種の意図的な怠慢の実践に依存していたという事実を見落としている。KCCAが自らの規則を厳密に順守していたとすれば、カンパラの廃棄物管理システムは実際よりもさらに機能不全に陥っていただろう。
さらに根本的なレベルでは、KCCAという機関の存立そのものが、カンパラの廃棄物問題の解決不可能性に依拠している。ビニール袋(kaveeras)で詰まった水路や路肩に積まれた半焼けのごみ山(kasasiro)――その物理的な存在こそが、都市から民主的政治を排除し、軍事化された国家権力を首都に浸透させる口実を与えてきたのだ。地滑りをある種の失敗として描写するならば、廃棄物管理システムの監督責任を担う技術者への安易な責任転嫁を乗り越えなければならない。この惨事は、行政的・技術的な怠慢から生じたのではない。廃棄物への身体的近接と危害を不均等に配分する政治的力学、そして人間の生の繁栄を資本の論理に従属させる経済的力学――廃棄物から価値を掘り出すことが、まともな賃労働から締め出された人びとにとってほぼ唯一の生計手段となるような構造――、この二重の力学の帰結として生じたのだ。
*
チテージで起きたような、ますます頻繁になる埋立地の地滑りは、いわゆる「人為的な」自然災害の現れを想起させる。2017年には、アディスアベバ、コロンボ、デリー、コナクリで4件のごみ山の崩壊が立て続けに発生し、150人以上が命を落とした。こうした惨事は、気候の混乱が引き起こす連鎖反応の典型だ。持続不可能な蓄積が断片的に、ある種の静けさのなかで進行し、やがて因果の法則が容赦なく自己を貫き、恐るべき崩壊として炸裂する。おそらくそれゆえに、気候的惨事を語る言説の多くが、物質の落下というメタファーを用いるのだろう。ドミノ倒し、連鎖、崩壊。これらのメタファーが捉えているのは、環境における微細な変化が巨大な連鎖的影響をもたらしうるという事実だけではない。私たちの行為の報いは、何ら変わりのない日常のただなかに、予期せぬかたちで突然回帰してくる、ということだ。それゆえ単純な説明は、つねに不十分なものとなる。地滑りをはじめとする予期せぬ「落下」は、こうした重層的な因果の構造を思考するための素材を提供している。なぜなら、重力をはじめとする物理法則では、物事を突然崩壊へと導く重層決定的な力を決して完全には説明できないからだ。
しかし、廃棄物の崩壊のイメージは、私たちが現在置かれている地球規模の苦境と、おそらくはさらに強烈な仕方で共鳴する。一方では、廃棄物の山に飲み込まれるコミュニティのイメージは、ある種の反射的な反応、すなわち、倒錯した消費への道徳的な憤慨を呼び起こす。この感情は、廃棄物を罪深いものとして、または合理的な使用価値に反するものとしてみなす歴史と結びついている。他方で、地滑りのイメージは過剰と喪失の観念を呼び起こす。実際、地滑りは地質学的には「マス・ウェイスティング(mass wasting)」と呼ばれるプロセスの一種であり、侵食や堆積といった、物質が斜面を移動するほかの様式とは区別されるものである。地質学者にとってこの用語はただの技術的な用語だが、「ウェイスティング(wasting)」という語が指すのは、ある単一の現象(たとえば川の存在)に主として帰せられることのない流動であり、蓄積された物質が重力に抵抗する力を失ったときに生じる流動のみである。この意味において、地滑りを記述するために地質学者が用いる用語でさえ、安定性と蓄積への暗黙の執着と、物質を何の理由もなく有用性の回路から取り出してしまう力への恐怖を露呈している。そしてこれらの災害は、利益をもたらす蓄積ないし成長への投資の裏側である、喪失への嫌悪を呼び起こす。生物学において廃棄物が有機体の代謝の回収不能な残余であるとすれば、廃棄物の崩壊とは、私たちの生が喪失によって支えられているということを想起させるトラウマ的な回帰なのだ。
廃棄物の崩壊によって突き付けられたこの気づきは、私たちが当然視してきた「人間を特別たらしめるのは、労働と想像力によって自然の「原材料」をより高い使用価値をもつものへと変換する能力だ」という幻想を揺るがす。哲学者トーマス・ネイルは『地球の理論(Theory of the Earth)』(2021)の中で、この幻想を人間中心主義、すなわち人間が例外であるという信念の核心に位置づける。〔星が燃え尽き、エネルギーが際限なく散逸していく〕宇宙の無駄遣いを前にして、「私たちが生命を、とりわけ人間の生命を特別だと思うのは、それが宇宙的エントロピーという廃棄に抗うからだ」と彼は書く。しかしネイルが論じるのは、地球上のすべての生命の主たる活動は、私たちが「生産的」と呼ぶものには何ら寄与しない形でエネルギーを消費することだということである。むしろ人間をほかの生命から際立たせるものがあるとすれば、それはエネルギーを桁外れに消費するという能力に他ならない。「小学生の代謝は、グラム当たりで換算すると、太陽より15,000倍ものエネルギーを散逸させる」と彼は指摘する。
ネイルの哲学的介入は、チテージの出来事のような廃棄物の惨事に対する私たちの反応を根本から問い直すよう促す。廃棄物への嫌悪と成長・生産性へのフェティシズムが、廃棄物の地滑りとの真の対峙を妨げている。資本主義の論理において、「廃棄物」とは価値の持たないもの、私たちが無用とみなし交換しようとしないものである。資本主義的な価値の法則は、価値の生産を最大化し、廃棄物の生産を最小化すべきと命じる。可能な限り、有用な副産物は商品化されるべきである。残存するものを管理・貯蔵・処分することはコストを生み出し、資本は通常それを外部に転嫁するからだ(たとえば、企業が有毒廃棄物を川に投棄することを考えればよい)。しかし、廃棄することは生命そのものの中心的な活動であるというネイルの前提に立つならば、資本主義的生産の問題は廃棄物を生産しすぎることではない。むしろ、資本主義は廃棄の自然なプロセスを妨げているのである。化石燃料の消費によって費やされる想像を絶する量のエネルギーを考慮に入れてさえ、地球規模のエネルギー散逸――その大部分は今なお植物によって行われ続けている――を、資本主義は減少させてきた。「人間のためにエネルギーの総使用量を最大化することで、〔地球上の〕化石燃料使用階級は、長期的に最適な運動エネルギーを消費する地球の能力を損なってきた」とネイルは指摘する。自然システムを破壊し化石燃料を燃やすことで、人間は地球全体のエネルギー消費の総量を劇的に減少させてきた。私たちはそれを、蓄積のための生産という狂乱のなかでますます多くを蓄積することによって成し遂げてきた。それは地球が太陽エネルギーを消費する能力を蝕み、がらくたで溢れた住めない世界へと私たちを急速に追い込みつつある。『地球の理論』の最も不穏な一節でネイルはこう主張する――「非生分解性の石油製品の発明は、私たちの死への恐怖と不死への探求の現代的な表現である。私たちは自分たちの廃棄物すら死なせようとしない」。
廃棄物の地滑りを、事故や外部性としてではなく、廃棄物を忌避する資本主義のイデオロギーの象徴として捉えるとは、どういうことを意味するだろうか。1960年代、核戦争の脅威が高まる中で執筆した哲学者ジョルジュ・バタイユは、二度の世界大戦について同様の問いを立てていた。『呪われた部分』(1949)におけるブルジョワ政治経済批判の核心は、廃棄物――あるいは彼が「非生産的消費/蕩尽」と呼ぶもの――の問題と向き合えないことへの批判に他ならない[5]。ブルジョワ経済学が提示する無限成長の幻想において、人間の活動が生み出す剰余はすべて損失を最小限に抑えながら回収・再投資できると想定されている。生産によって生まれた剰余は、労働者を養い住まわせて再び働かせるといった生産的な消費や、生産力そのものの発展を通じて、システムの内部に吸収されていく。このシステム全体を下支えしているのは、無限成長への信念であり、それは「剰余が見返りなしに消費されなければならない客観的な限界が存在する」という事実を否認し、抑圧する。しかしこの否認は危険な妄想だ。なぜなら、見返りなしにエネルギーの剰余が消費されなければならないとき、それは「栄光のうちに、もしくは破局的に」消費されるからだ。社会的活動を生産と再生産の命令に従属させる限り、剰余の消費は破局という形をとる――バタイユはそう論じる。彼の時代も私たちの時代も、強大な力は過剰生産の危機や世界大戦のような大規模な暴力として社会的剰余を浪費してきた。たとえそれが私たちを殺すことになっても、私たちは美や栄光といった別の人間的目的のために労働を使うのではなく、価値を生産し続ける。私たちはピラミッドに感嘆するが、自分たちのピラミッドを建てることはない。祝祭でさえ利益を上げることを期待する。
バタイユの経済的合理性への批判は、蓄積のプロセスがなぜチテージの地滑りのような社会的・生態的に破局的な消費の形態を生み出す傾向があるかを説明するのに役立つ。有用性の原理がほかの価値に優越するとき、恐ろしい排泄物が人間の生を押し流す。現代において、廃棄物とともに生きることの重荷を担わされているのは、最も抑圧された人びとだ。マルクス主義者はしばしばこの集団を「過剰人口」と呼ぶが、この語はまさに資本が不要とみなす人びとを意味する用語だ。その死においても、生においても、これらの人びとは価値を持たないものとして扱われる。そしてチテージの地滑りの余波においてそうだったように、私たちがこの事実に直面するとき、私たちはしばしば目を背けることを選ぶ。
チテージの地滑りを事故や逸脱として捉えるほぼ支配的な枠組みは、災害を引き起こした構造的な政治的・経済的力学を説明できていないと私は論じてきた。そしてこれらの力学と正面から向き合えないことは、非生産的な廃棄物への根深い嫌悪と、有用性・生産性を唯一の社会的価値とする信念と結びついている、と。ただ、この議論を展開しながら、私は気になっていることがある。結局のところ階級の暴力の、意味などない残忍な現れにすぎないものを意味づけようとする衝動に、私はずっと引きずられてきたのではないか。ときに私は、その出来事の首尾一貫した因果関係の網を綴り出す適切な動詞を求めて類語辞典を漁っている自分に気づいた。まるで責任の軌跡を特定することで、悲劇への足掛かりを得られるかのように。その結果、私の分析はチテージから、そして自分自身から遠ざかり、徐々に資本主義的総体へと向かっていった。おそらく私の説明への衝動は、現場から自分を引き離したいという欲望から、自分自身の災害への近接性に影響されることを避けたいという欲望から来ていたのかもしれない。結局のところ、カサンガティにある私の家はチテージのほんの数キロ北にあり、地滑りが起きるまで私がそれを考える必要がなかったという事実は、私の階級的位置が自分のごみがどこに行くかを考える責務から私を放免していたからだ。それでも私は、この出来事に身を委ね、それについて何かを語らなければという衝動を感じた。ただ、ふさわしい言葉はどこにも見つからない。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kiteezi1_(1).jpg via Wikimedia Commons
これを書いている今、私の父はカンパラのルジラ刑務所に収監されており、彼を破滅させることを意図しているかのような政治的迫害に直面している。彼は、ただ貧しいことが罪であった多くの人びとと監房を共にしている。彼はある意味で、階級闘争の一種の犠牲者だ――ただし、それは彼が政権のレンティア的利権にとって目障りな存在であるからにすぎない。私はそれについても何を言うべきか知りたい。あるいは少なくとも、知っている人とともにその場にいたい。そのような知識があれば、今は対象を持たないまま宙づりになっている怒りや悲しみという感情に身を委ねることができるだろう。しかしその時私は思う、私の感情を流し込める器を、明確な水路を求めるこの欲望こそが、おそらく私の分析の渦の中に姿を現していたものなのではないか、と。受け入れがたいものの流れが行き着く場所を見つけられないとき、その流れは同じところを巡り続ける。チテージと私を結びつけるものがあるとすれば、私の捨てたごみの行先だという他には、この恣意性への抵抗だ。私たちの自律性を奪い、本来は担うはずのなかったものを抱えたまま、どこにも預けられずにいる――そのような不可知で説明不能な力への抵抗。これが連帯の始まりだと信じたい。だが、確信は持てない。
解題
本エッセイは、ウガンダの文芸誌“The Weganda Review”に掲載されたものである。著者アンセルム・キッザ=ベシジェは、アメリカ・コロンビア大学の人類学部に在籍する博士課程の学生である。エッセイの最後で明かされるように、その父は民主改革フォーラム(FDC)を設立し、40年にわたるムセベニ政権に第一線で対立してきた政治家キッザ・ベシジェだ。父は2001年から2016年まで4度の大統領選挙で対立候補として出馬し続けた。2024年には隣国ケニアの首都ナイロビで身柄を拘束され、ウガンダに連行されたのち反逆罪で起訴・収監されている。
本エッセイでアンセルムが批判するのは、チテージの崩壊を行政的な失敗として解釈し責任を追及する枠組みそのものだ。政府もその批判者も、合理的に管理された廃棄物システムがあれば、ごみを人間の世界から切り離すことができるという幻想を共有している。しかしここでアンセルムがドハティの一連の研究を引きながら示すのは、カンパラの廃棄物管理システムがその「密閉」の機能不全を黙認することで、かろうじて機能してきたという逆説だ。衛生労働者たちにとって廃棄物回収の片手間に収集するプラスチックや金属は欠かせない生活の糧であり続けるし、人びとは、行政サービスが届かない地域において自ら手押し車などでごみを回収するシステムを構築し、都市空間を居住可能なものにしている。さらに、チテージでありとあらゆるリサイクル可能な廃材を毎日15トン以上も回収する「ごみ漁り」と、チテージに飛来し有機物を食べるハゲコウは、とうに許容量を超えてもなお廃棄物が積まれていく埋立地の延命に寄与しているのだ。そしてアンセルムはネイルとバタイユを経由して、チテージの地滑りが孕む根本的な暴力性を掘り下げていく。「廃棄とは生命の本質的な活動である」というネイルの命題を援用し、廃棄物への嫌悪という前提そのものを揺さぶる。その嫌悪があるからこそ、廃棄物は人間の世界から切り離され、周縁へと押しやられる。バタイユは、その嫌悪が資本主義的な有用性の論理と不可分であることを示す。「過剰人口」として扱われる人びとが廃棄物とともに生きることを強いられるのは、有用性を唯一の価値とする資本主義が、人間も廃棄物も同じ論理で周縁へと排除するからだ。
崩壊からまもなく2年が経とうとする2026年6月現在、チテージの復旧工事は最終段階にある。日本政府がUN-Habitatを通じて100万ドルの無償資金援助を供与し、福岡大学が開発した半好気性埋立構造「福岡方式」によるプロジェクトが進められてきた。1970年代に福岡大学と福岡市の共同実証研究から生まれたこの技術は、埋立地底部のパイプによる通気・通水によって廃棄物の分解を促進し、斜面の安定化、メタンガスの排気、浸出水の収集処理という工学的課題に対処するものだ。現在JICAや国連を通じてアジア・アフリカ17か国に普及している。チテージでは1,200本以上のパイプが設置され、2026年3月時点で復旧工事の約84%が完了した。一方で、アンセルムとドハティが問うてきたのは、なぜ人びとがごみ山の周辺に住まざるを得ないのかという構造的問題であり、ごみ漁りたちの労働がシステムを支えながらも制度的に認知されないという非対称性だった。こうした非対称性は、ウェイストピッカーの労働を一時しのぎの仕事として描く開発言説のなかでも再生産される。しかしドハティの民族誌によれば、チテージで働く人びとが求めていたのは別の職への「卒業」ではなく、廃品回収労働者としての正式な承認と付加価値化への支援だ。現地視察記録には「周辺コミュニティの生計機会」への言及はあるが、その具体的な処遇は明示されていない。チテージの再建は、崩壊と汚染の危険を取り除きながらも、アンセルムが批判した「密閉された廃棄物の流路」幻想を工学的な技術の上に再演している。
チテージの復旧と並行して、カンパラの廃棄物は新たな代替処分地へと向かいつつある。崩壊後の混乱を経て、KCCAは2025年2月、ムピギ県ブヤラに230ヘクタールの土地を確保し、「近代的な総合廃棄物管理・資源回収施設」として整備を進めている。しかし現場では、チテージとの不気味なまでの相似が進行している。住民への十分な説明なしに搬入が開始され、浸出水が隣接するマヤンジャ湿地へと流出し、住民がごみ漁りに従事している。環境的権利の侵害を訴える住民100名以上がKCCAとNEMA(国家環境管理庁)を相手取り提訴し、2026年4月の国会委員会の視察でも予算と機材の慢性的な不足が指摘された。KCCAは「ごみは正しく扱えば金になる」と語り、将来的な雇用創出を約束することで用地の確保を試みる。しかしこの言葉は額面通りには受け取りにくい。市内ではごみ漁りを犯罪化し埋立地から排除しようとしながら、周縁では投棄を正当化する。KCCAの廃棄物をめぐる言葉は、状況によって巧妙に使い分けられる。密閉されることのない廃棄物の流れはこうして、ただ、新たな外部へと移動していく。
翻訳:中垣太樹
Republished under the permission of the author.
Cover image: A view of the landfill at Kiteezi in Wakiso, just outside Kampala, via Wikimedia Commons.
訳注
[1] この声明文では英語の本文のなかに複数のアンコーレ語(ムセベニの出身地の言語)が登場する。
[2] ムセベニの声明は、国民を「孫」を意味するガンダ語 “Bazzukulu” と呼ぶことから始まり、自信と国民との関係を祖父と孫に擬する語法を踏襲している。「農民でさえ知っている」という比較も同様で、アンコーレ語を用いて伝統的な農村の知識を権威として持ち出すことで、被害者を「無知な孫たち」として扱う。地滑りを「教育の機会」と呼ぶ結論は、こうしたパターナリズムの上に成立しており、事故による犠牲の責任を被害者の無知へとすり替えている。
[3] カンパラの廃棄物管理システムを研究した都市人類学者ジェイコブ・ドハティが著書『廃棄物の世界』(2022)にてカンパラの廃棄物管理条例を分析するために用いた概念。ここでいう「密閉(hermetically sealed)」とは、単にゴミ袋の空気を抜いて縛ることではなく、家庭などの発生源から最終処分場にいたるまで、廃棄物が外部環境や人間と一切接触することなく処理される、高度に形式化された理想状態を示している。同時に、インフォーマルなごみ回収業者やリサイクル品の回収、そしてごみの焼却など、現実の都市を支える人びとの営みを「システムの密閉性を破る公害」とみなし、犯罪化する意図が込められている。
[4] “scavengers”は動物が死肉を漁る行為から転じた語で、ウガンダの廃棄物管理法令にも記載される公式の用語となっている。英語圏ではこの語の差別性を踏まえ、より中立的な “waste pickers” への言い換えが進んできたが、法令が”scavengers”を採用していることは、この労働を担う人びとを排除・犯罪化の対象として位置づける制度的な眼差しを端的に示している。日本語にも定訳はないが、その意図を汲み、この翻訳では「廃品回収業者」「くず拾い」ではなく「ごみ漁り」を採用した。
[5] バタイユの経済理論もまた、地球が太陽から受け取るエネルギーの過剰を出発点とする。地球は常に消費しきれないエネルギーを抱えており、そのエネルギーがいかに消費されているかというバタイユの問いは、ネイルの議論と同じ問題系を共有している。
